秀頼の実父、99.7%嘘の考察(1)
豊臣秀頼(とよとみ・ひでより)の父親と言えば一般的には、豊臣秀吉。
でも、一部の歴史オタクからすれば、違うらしい。
なぜか?
秀吉は数十人もの側室がいたのに、子供は生涯で3人しかいない。
そのうち、2人(棄:すて、秀頼)の母親が淀殿(よどどの)、
残る1人とその母親は、よく分からないうちに歴史に出て、よく分からないうちに歴史から消えた、石松丸(いしまつまる)と南殿(みなみどの)。
「実質、子供を産んでるのは淀殿だけ。秀吉は不妊症で、それを隠すために南殿を作った。」って話もあるとかないとか。
で、考えてみた結果、私にとっての秀頼の実父は
大谷吉継(おおたに・よしつぐ)
になりました。
最大の理由は、らい病(ハンセン病)に掛かったのが原因で「覆面をしていた。」とされているから。
本当は、「秀頼と瓜二つ」で知らない人が見ても明らかに、バレると思ったからと勝手に思っています。
ちょっと歴史知ってたら誰でも考え付くわ!と言われるかもしれません。
ですが、他にも自分なりに理由と正体についての考察があります。
それを話し出すと長くなるので今回はこの辺で。