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怒るってどんなとき?
「なんで怒っちゃうんだろうね」
そんな会話をしながら子どもと一緒に車に乗り込んだ朝。
少し仕事にめどがついて、落ち着いているシーズンは朝もゆっくりだ。
そろそろ5歳になる子どもが
テキパキと朝の支度が済んで、送りの車に機嫌よく乗り込んでくれるのは
4日に1回あればいいほう。
基本的には「んもー」と子ども本人か、家族の誰かが怒っている。
理由は様々で、気に入った服がないとか、ヘアピンがないとか
そんな感じだ。でも不機嫌は伝播する。
子どもがそんな感じだといつの間にか周りの大人も不機嫌になる。
朝の予定が遅れて狂いそうになってイライラし始める。
ピタゴラスイッチの装置のように、どんどん連鎖していく。
どうして怒ってしまうんだろう。
今日は誰も機嫌を損ねることなく出発できた。
るんるんと車に乗り込む子供になんとなく聞いてみた。
「今日は元気におうちでられたね。なんでかな」
すると
「うーん、だれも怒らなかったからじゃない?」と返事が返ってきた。
確かにそうだ。
子ども自身も余裕があったし、家族も急かすことなく家を出られた。
それだけのことだけど、全てがスムーズに進む。
では怒らないように過ごすためにはどうすればいいのだろうか。
「怒る時ってどんなときだと思う?」
運転しながら私は子どもに尋ねてみた。うーん、と考え込む子。
私は話を続けた。
「わたしは『お腹すいた』とか『眠たい』とか『暑い!寒い!』と怒りたくなる」
「えー?」と子どもは笑った。
でも本当にそうなのだ。
基本的に生活していて【怒り】につながることは身体的なことで
ベースが乱されていると感情も乱れる。
怒りという感情に火がつきやすくなる。
周りの事象やニュース、いろいろな出来事に着火しやすくなる。
すると子どもが
「わたしはお話を聞いてもらえなかったら怒るな」と話し始めた。
「聞いて欲しいのに、聞いてもらえないと怒りたくなる」と。
へー!と声が出た。確かにそうかもしれない。
子ども自身にとって「自分の考え」がはっきりあるのに
聞いてもらえない、受け止めてもらえない、という体験がすでにあり、しかも
それに対して「怒り」という気持ちを認識しているのだと驚いた。
大人だって「自分はこう考えています」と主張しているのに
遮られたり受け止めてもらえなかったら辛い。
「そうなんだ!そういう時に怒りたくなるんだね。
他にもある?」
「うん、あるよ。やっていることがうまくいかない、失敗しちゃうと怒りたくなる」
なるほど、失敗か。
具体的には
例えば塗り絵がはみ出したり、うまく工作できなかったり、思った通りに鉄棒ができなかったり、だそうだ。
なかなか自分の予想通りに物事が進まないと「怒り」を覚える、
そうだな、その通りだ。
その場や相手、思考をコントロールできないと怒りに似た感情に呑まれることは私もある。なんでなんだ、と理不尽さを感じる。
理不尽に怒ってるのは結局のところ自分なのだが。
5歳になる子どもも自分の中の「怒り」と向き合っているのだ。
どうしてそんな気持ちになるのか、それから園につくまで少し話した。
「私は、怒りって【降ってくる】気がするんだよね」
子どもは「えー?雨みたいに?」と返してきた。
「そう、雨みたいに、雪みたいに。空から降ってくる。本当は怒らなくてもいいこともあるのに、【怒り】が降ってくるとどうしようもなくなる、そんな気がする」
怒りってなんだろう。
わたしは悲しみとも近い気がしている。
怒り、そして悲しみ。それは突然降ってくる。どうしようもなくなる。
「そんなわけないじゃん」と子どもは笑っていた。
そうかな、私はやっぱり降ってくることもあると思うよ。と返事した。
「ああ、今私の頭に怒りが降ってきたな」
そう思うだけで少し自分の機嫌と距離が置ける気がするからだ。
子どもと向き合うときも「どうして怒ってしまうんだろう」という疑問を
なるべく持ちたいと思う。
怒りで支配しないように。
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