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見えない収納を活用すると永遠に見つけなくなる
綺麗な部屋に憧れる。いわゆる「ビシッと揃っている」ことが綺麗の定義になっている、と私は感じているのだが世間はどうなのだろうか。
無印良品のボックスがズラーっとならんだパントリー
学習用のものがピシッと揃えられている棚
パンチングボードに整然と掲げられている文具
インターネットの世界には「綺麗」「ずっと眺めていても疲れない」部屋
等の見本がずらずらと出てくる。
ただこれを家で再現するとどうなるだろう。
一生見つけることができないもので溢れかえるだろうし、
元あった場所に戻さずボックスが置いてある手前のちょっとした棚に
物を置きっぱなしにするんだろうな、とか想像してしまう自分がいる。
元あった場所に戻す、ただそれだけなのにそれが果てしなく難しい。
よく、片付けは「モノに住所を与えてそこに返してあげるだけ」
とか表現されるが、一度家を出発したものは住所不定になる、
そのまま流浪の旅に出ても案外気がつかない。
気がつくのはまた探し始めた時くらいだ。
見つけた時の安堵感で、元に戻す、というタスクはすっぽ抜ける。この繰り返しなのである。
私はカバンの中の物を元あった場所に返すことすら億劫で
「カバンの中に今日入れていたボックス」という物を作り
どさーーーっと入れてしまう。
カバンを空にするために。
住所がある物たちは一旦この「迷子センター」に追いやられるのである。
そして心の余裕がある時に、私はその迷子センターに向き合うのだ。
大体はゴミ箱行きだ。
見つからない辛さ、元の場所にない大変さをたくさん味わっているはずなのに
見つけた後は「ああよかった」と思って元に戻さない。
この繰り返しなわけだが、ずっと改善できずにいる。
綺麗にしまったつもりでも、見えないケースに入れたり中を引き出してみないとわからない場所に入れて仕舞えば、そこを確認することすら億劫になる。
片付けはステップを少なくする、ハードルを下げることも重要だそうが
私の場合、どこまでそのレベルを下げていいのやら、となるばかりである。
自分が全て透視できる様になったほうが良いのではないか、と思うほどである。
綺麗にしまったらもうそこが物の永住の地であり、墓場なのだった。
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