星図から観る日本史;女性天皇のホロスコープ編②
皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。
いつもの方も初めましての方も、ご訪問いただきまして、ありがとうございます。
前回からクリスマス企画(???)として、2回に渡り「星図から観る日本史」シリーズ第二弾、「女性天皇のホロスコープ編」をお届けしています。
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過去に存在した女性天皇で、生年月日が分かっているのは前回取り上げた明正天皇と、今回の主人公である後桜町天皇のお二人だけで、どちらも江戸時代に在位した天皇になります。
敬宮さま人気で注目が集まる、皇位継承問題に連なる「女性天皇」「女系天皇」可否の問題。
現代と同じ様に、長らく女性天皇が輩出されなかった時代を経て、どの様に女性天皇が誕生に至り、彼女たちがどの様な人生を送ったのか?
史実とホロスコープ鑑定の内容を照らし合わせながら、考察して参りたいと思います。
後桜町天皇とは
後桜町天皇;1740年9月23日生まれ
第115代桜町天皇の第二皇女。母は関白左大臣二条吉忠の女で桜町女御の二条舎子(青綺門院)。同母姉に早世した盛子内親王、異母弟に第116代桃園天皇。2024年(令和6年)現在、皇室史における最後の女性天皇となっています。
以下、少し長くなりますがWikipediaから引用してみます。
と言うわけで、現代の敬宮さまを取り巻く状況に近いのは、この後桜町天皇のケースかも知れません。
実は悠仁親王殿下が生まれる前に、敬宮さまを皇位継承者にする…と皇室会議で決まっていたと言う様な噂もありますし、
小泉政権下での有識者会議でも皇室で安定的な皇位継承を続けて行く為には女系容認※が必要であると言う提言が出ていました。
後者は悠仁親王ご誕生で有耶無耶になってしまいましたが、この提言はまだ生きていると言います。
五摂家による宮中会議を皇室会議に、
公家の強い批判や不満を保守層の男系男子派のそれに置き換えれば、現在の状況とそっくりです。
幼い天皇が長じてから問題を起こさぬ様に、中継ぎとして即位したことはドラゴン・ヘッドを含む蟹座の惑星集団と山羊座の天王星とドラゴン・テイルの合の対立を水星(桃園天皇?)や冥王星(五摂家?)が調停している配置に表されています。
調停に入っている冥王星が本来宮の蠍座に、水星が本来宮の乙女座にありますから、五摂家と朝廷側が公家の反発を抑えて(?)押し切ったと言えるでしょう。
これは現在の皇室典範の下では、なかなか真似するのは難しい解決方法でしょうね。
注※女系天皇;父帝→皇女による皇位継承=女性天皇。女系天皇は母帝→皇女への皇位継承のこと。
前回取り上げた明正天皇の名前の由来となった元明天皇(奈良時代の女帝)→元正天皇(〃)への皇位継承は母娘間での皇位継承になる為、元正天皇は女系天皇であるという意見は、一部の保守派の中にもあります。
ただし、元正天皇から皇位を継承した聖武天皇以降はずっと男系継承が続いて来ました。
なので長らく男系継承が続いて来たことには変わりないので、男系継承が伝統であることには違いないのですが、万世一系(ずっと男系継承が行われて来た)は事実とは違うと言うことになります。
因みに万世一系は、皇室の神格化の為に明治時代に言われ出した造語で、それ以前にはその様な言葉は無かったのだそうです。
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