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今、世界で起きていること②;日本と英国に於ける宗教の原点回帰編
皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。
皆さんはご存知でしょうか?
グレートリセットのあとに始まると言われている新世界秩序ですが、
実は世界統一政府樹立と同時に今世界にある各種宗教は廃止され、新世界秩序に相応しい新たな世界宗教が創設する計画があるそうなのです。
ただし個人的には前回触れたアフリカ情勢にも観られるように、国や地域の「政治的成熟度」が全く違うのに「世界統一政府」を考えること自体「暴論」だと思っています。
アフリカが劣っていて先進国が優秀だと言っているのではありません。アフリカなどの後進国は“植民地時代が長かった故に”欧米によって民主主義国家として統治力や社会を成熟させるコースからは常に外されて来たのだから。
親(先進国)が子供(後進国)を育て、ある程度まで育ったら親元を離れ社会(世界各国)に育てて貰うように、搾取されてきた国や地域を育てる。
育った子供たち(国民・国家地域)は親兄弟(天皇=皇室と、同盟国や友好国)と共に支え合い、親が老いたら子が支える。
そう言う世界観が八紘一宇にはあったのですが、(欧米から搾取されている国を日本の統治下に入れて育て、独立させてお互い支え合い、欧米列強と対峙して行くと言う計画だったと言われています。
つまり昭和時代に笹川財団のCMでお馴染みだった「世界は一家、人類は皆兄弟」の標語こそが八紘一宇思想のキモで、それは欧米列強に対峙して行く為、八紘為宇や儒教思想などをベースに国策思想として“人工的に作られた”ものでした。
なので厳密には神武天皇の神勅の八紘為宇とは分けて考えた方が良いのではと個人的には思っています。)
この様に大日本帝国政府は大東亜共栄圏構想のもとにそれ[八紘一宇]をやって来たのだけれど、
(勿論それは帝国主義が世界中で蔓延する当時の価値観の範囲に限られてはいたでしょうが、)
おそらく欧米列強は有色人種の新興国がそれをするのが気に入らなかったのでしょう。
実際、日本などが主導して作った戦前の「国際連盟」では、日本は世界で初めて「人種的差別撤廃提案」
をしていますが米国などに反対され、潰されています。
しかし現代の学校教育では近現代史は殆ど習わず、こうした事実も教えられることが有りません。
なので、敗戦国として一方的に悪者にされ、悪者としての歴史観を刷り込まれ、自虐史観を植え付けられ、日本人としての誇りを潰され奪われて、生きる気力を無くした国民を量産させられているのです。
日本はウクライナ侵攻前のロシアのように欧米列強から追い詰められ、国や国民の生活を守る為には開戦するしか無い方向へ、徐々に追いやられて行ったのです。
敗戦後はGHQの出した神道司令により、自国の文化の根っこである神道について、学校教育の場で学ぶ機会を奪われてしまいました。
説明が長くなりましたが、こうした近代史の流れを理解していないと、グレートリセットや新世界秩序について正確な判断や評価を下すのは難しいと思いますので、ぜひ頭の片隅に置いておいてください。
そう言う中にあって、チャールズ3世の皇太子時代の、WEF会長クラウス・シュワブと共にダボスで行われた「グレートリセット宣言」に見られる様に、一見、新世界秩序に向けて歩調を合わせている様でいながら、実際には英王室(英国国教会)と我が日本の皇室(神道)は一味違う動きをしている様にも見えます。
そこで今回は日本ではあまり報道されなかったチャールズ3世の戴冠式に見られたエキュメニズムや宗教の原点回帰の流れと、日本の皇室に見られる同様の流れについて取り上げてみたいと思います。
戴冠式の招待状に隠された暗号
英国戴冠式と日本の報道について
の有料パートでは既に既出となっていたのですが、英ガーディアン紙では、戴冠式の招待状についてこの様な報道がありました。
〉手描きの魅力的な招待状から察するに、戴冠式は、チャールズ3世がドルイド教(古代ケルトの宗教;筆者注)、木馬のマスター、サマーアイル(古代ケルト人が住んでいた諸島部;同)の上級貴族に任命される新教徒の儀式になるのだろう。紋章芸術家アンドリュー・ジェイミソンが手がけた複雑で楽しい花柄の中で、最も目立つイメージは、不敵に微笑む「グリーンマン」の顔だからです。このエメラルド色の顔は、ジェイミソンのエレガントな群像デザインの中でひときわ目立つ存在であり、キリスト教以前の古代の神のものである。〉
The coronation invitation reviewed – is Charles planning a pumping pagan party? | Art | The Guardian
より引用
古代ケルトに興味がある人ならご存知かと思いますが、古代ケルトはアイルランドやスコットランドを中心に欧州大陸に拡がっていた古代文明で、英の有名な遺跡「ストーンヘンジ」も古代ケルトのものと言われています。
有名どころではサイモン&ガーファンクルの代表曲のひとつ「スカボローフェア」も、古代ケルトにも繋がるスコットランドの古いバラッド“The Elfin Knight(妖精の騎士)”が原型だと言われています。
古代ローマに侵略されキリスト教が入り込んで来るまで、古代ケルトではドルイド教が信仰されていました。
このドルイド教の盆暮正月を一緒にした様な祭祀ーお祭りが、皆さんよくご存知のハロウィンのルーツなのです。
要は、(ガーディアンは左派メディアなので)これではまるで「チャールズ3世の戴冠式はドルイド教入信の儀式のようだ」と皮肉っていたわけです。
![](https://assets.st-note.com/img/1684636980153-NgTnf2R2NW.jpg?width=1200)
そう言えば戴冠式には死神まで登場したと一部で話題になっていましたが、実際はバーシャーと呼ばれる聖堂番だったようですね。
チャールズ国王 戴冠式に「死神」が現れた!?黒いローブに大きな鎌 会場を横切る姿にネット騒然 何者か・・・(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
戴冠式にはローマカトリックや東方正教会の司祭も呼ばれ、お祝いのスピーチをされていましたが、こうしたことはエキュメニズムの動きに沿ったプランだったのでしょう。
今上陛下の異例のスピーチ
英戴冠式ほどでは無いにせよ、日本でもそれに準ずる様な動きがありました。
それは2022年に熊本で開催された第4回「アジア太平洋水サミット」での今上陛下のビデオスピーチです。
ここで陛下は神道が成立する以前の日本や、世界各地の水神信仰についてスピーチされているのです。
つまり英国国教会のトップであるチャールズ3世王と、神道のトップである天皇陛下が、共に自国の今の宗教が成立する以前の古代宗教ないしは信仰や他宗教のことを、(次項でも触れますが)やり方は違えども、これまでの自身の研究や考えを公の場で表現すると言う形で動きがあったわけです。
これは英国同様、いわゆる国教的な存在である宗教ないしは信仰と、超古代に存在した土着的宗教ないしは信仰の原点を探り融和を図る動きの一環(超古代宗教から現在の国教・信仰に切り替わる過程では、当然ながら戦争もあったわけです。)とも考えられます。
イスラム贔屓と言われるチャールズ3世
イスラム教を含むすべての信仰の擁護者としてのチャールズ3世王(英文)
上記の記事では
〉1990年代、チャールズはすべての信仰の擁護者になりたいと言って論争を巻き起こし、戴冠式のために宣誓の公式を変更するだろうという憶測を引き起こしました。〉
とあります。
なんと30年も前から今回のチャールズ3世の戴冠式がこれまでの伝統を覆すであろうことが予想されていたのですね。
またチャールズ3世王はこれまでにオックスフォード大学のイスラム研究センターにて何度か講演をされてますが、記事中には1993年のスピーチの動画リンクがあります。
YouTubeのアカウントをお持ちの方は、動画リンクをクリック→YouTubeで見るをクリック→動画の縁にある歯車マークをクリック→字幕をクリック→自動翻訳をクリック→言語選択で日本語をクリックで、不完全ではありますが日本語字幕を付けて観ることが出来ます。
詳細に関しては動画の方をご覧頂きたいのですが、この時はまだグレートリセットやSDGsの話が国際会議などで出て来る前と思われ、皇太子(当時)のスピーチも、専ら「アラブと西洋の衝突・融和の為の相互理解の必要性」と言う観点で語られています。
また、イスラムを理解しようとする行動は自分の運を下げるーーー英国民から不興を買うであろうことは自身も理解した上で、(当時はイラン・イラク戦争など中東情勢も不安定で、欧州に中近東からの難民が増えている時期でもあった為)それでもなお西洋社会とアラブの衝突を避ける為には双方に横たわる誤解を解き、相互理解が必要であると説いています。
こうした観点は、中世からの領土拡大や植民地政策・その延長線上にある英連邦の長としての責任感など、その立場から育まれたものでもあるのでしょう。
一般国民は自分の生活に直結する部分しか見ませんが、(立憲君主国で政治的なことにはタッチしないのが原則とは言え)元首である以上は自分が治めている領地に暮らす人々のことを、精神的・文化的側面から支える為に何が必要か?
と言う視点で物事を考えるのは当然のことでしょう。
当時は既に(EUの前身である)ECという基盤が堅固になっており、(中近東からの移民・避難民は他の欧州各国も抱えていた問題で)他の欧州各国との連携も取り易くなっていたことが幸いしたかも知れません。
ですが皇太子(当時)の予想通り、彼の行動は英国国教会を始めとした英国内では反発を呼ぶものでもありました。世間的には故ダイアナ妃との関係や出来事も悪影響したでしょう。
ただし、私に言わせれば悪いのはカミラさんの方だと思える部分もあります。
というのは、若い頃カミラさんと付き合っていたチャールズ皇太子(当時)は、結婚を考えていることを彼女に伝えていたようなのですが、堅苦しい王室での暮らしや将来の王妃と言うがんじがらめの立場を嫌った彼女は、チャールズから離れボウルズ大佐と結婚してしまったのです。
一人の男性の心理として考えれば、このことがショックで無いわけがありません。
チャールズ国王は独身時代に数々の浮き名を流していたことでも有名ですが、カミラさんと別れた後の現在に至るまでの経緯を考えると、カミラさんに対する想いが断ち切れなかったのでしょう。
チャールズ皇太子(当時)がダイアナ・フランセス・スペンサー伯爵令嬢と結婚したのは、彼が33歳の時でした。
当時はまだ前夫と婚姻中だったカミラ・パーカー・ボウルズ夫人はチャールズ3世王よりもひとつ歳上ですから、(英国では如何考えられていたかは分かりませんが)日本なら丸高を意識する年齢です。
その一方で、事実上の政略結婚の相手にされたダイアナ妃は生家の事情が複雑で、王室に繋がる格の高い伯爵家の生まれであっても、彼女は家庭の事情から王室に相応しい教育を受けられなかったが故に、彼女は王室での堅苦しい生活に馴染めなかったとも言われています。
そうしたことも、(チャールズ皇太子がカミラさんへの想いが断ち切れなかった)理由として大きかったのかも知れません。
過去の恋愛に対しては、女性よりも男性の方が未練たらたらでいることが多いですよね。
チャールズ3世王も例外では無かったということなのでしょう。
そして少なくとも、チャールズ3世王は英国内では改革派として受け取られていると思いますから、伝統主義者の一面と文化的側面から世界の融和・調和を目指して改革に取り組むと言う二面性があるのは確かでしょう。
英国では今だに乗る列車の等級が(収入では無く)身分で分けられていると言います。
日本よりもはるかに厳格な階層社会が今だに継続しているわけです。しかも(最近は日本でも拡がって来ましたが)日本よりもはるかに格差の大きい格差社会でもあります。
最近世間を騒がせているLGBTQ法案にしても、社会の土壌が違う(欧米の方が差別が厳しい)のに、欧米の論理で同じことを日本に押し付けようとしてくる動きに対して、反論し抵抗しない政治家には怒りを通り越して呆れるしかないですが、
英国においても概して英王家の方が模範であろうとする(キャサリン皇太子妃がH&MやZARAなどのファストファッションをよく利用しているのは有名ですが)傾向が強く、経済界や政治家の方が利権や特権にしがみつき、結果的に国民に負担を強いる選択をしているようにも見えます。
何度でも言いますが、日本を変えようとするよりも、問題が欧米に比べて少ない日本をお手本にし、自分たちも近づきたいから協力してくださいと言うなら分かります。
でも日本の現状を理解しようとせずに、勝手に同じと決めつけて自らのやり方を押し付けてくる米ネオコンは自己中な厄介者でしかありません。
ですからそれを上手くかわす外交手腕を持った政治家や官僚が必要ですね。(巷には擁護する声もあるようですが、)そう言う意味では岸田政権は失格です。
前々回の記事でしたか…モナコでの国際秘密会議のことについて取り上げましたが、この会議、英ロスチャイルド本家が黒幕だったと言われており、英王室は参加していたけれど、英閣僚は参加を拒否されています。
因みに日本政府(菅直人首相=当時)もG7の一角を占める国ですので、参加を断られています。
この様な出来事から英王室は英政府を信用していないとの見立てを主張している人もいました。
では日本の皇室・皇族は如何なのでしょうか。
秋篠宮両殿下と上皇・上皇后両陛下が訪れた大聖寺とは
皇室・皇族の方々と言うのは、明治維新で明治政府が神仏分離令を出すまでは、神道の神官であると同時に仏教徒だったと言います。
皇室・皇族の葬儀は現在は神式で行われていますが、明治以前、神仏習合で皇室や皇族方が神道の神官であると同時に仏教徒だった時代には、民間と同様に仏式で行われていたのだそうです。
神道と仏教は、朝廷でもハレ(祝事=神)とケ(忌事=仏)に分けられ、役割分担されていたのですね。
ですから、様々な事情で朝廷に居られなくなった皇族方や親王・内親王様方は出家されて寺院の門跡となられることもありました。
そうした門跡寺院となっているお寺のひとつが、今回上皇・上皇后両陛下が訪れた「大聖寺
」です。
大聖寺の始まりは室町時代にまで遡るそうですが、この大聖寺には戦国時代の|正親町天皇《おおぎまちてんのう》の皇女様が三人も門跡として入られています。
正親町天皇は武家社会が続き衰退した皇室を織田信長や豊臣秀吉の支援を得て再興し、京都からキリスト教宣教師を追放したことでも知られているようなのですが、その天皇の殆どの皇女様が門跡に入られたお寺に、上皇后様はいらして大丈夫だったんですかねえ…?
正親町天皇御本人でないから、関係ないのかな?
そもそも秋篠宮妃紀子様も2015年には「|大聖寺《だいしょうじ)文化・|護友《ごゆう)会」(京都市)の名誉総裁に就任されてますしね。
チャールズ3世王が皇太子時代にイスラム研究センターを立ち上げたオックスフォード大学は、一応公式には秋篠宮皇嗣殿下、眞子さん、佳子さまの留学先だったことになっていますね。
そういう意味では、秋篠宮家の方々が仏教寺院の支援団体の名誉総裁を務めると言うことは、本来なら大きな計画の一部で大変意義のあることなのでしょうが、(オックスフォード大に席を置いたことが無い妃殿下がそれを)いったいどこまで理解されてやっておられるかは、甚だ疑問なところではあります。
本来なら眞子さんか佳子さま辺りがされるべきなんでしょうけど、現状では難しいのでしょうね。
そう言えば「尼寺へ行け!尼寺へ」は、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の中の一節でしたか。確かハムレットがオフィーリアに向かって言ったセリフじゃなかったかしら…(※)
型示し
それはさておき、話を戻しますが(いずれも夭折ないしは早逝されてるとは言え)皇女様が三人も、ですよ?
しかも正親町天皇の皇女様が入寺した時から、このお寺は尼門跡寺院となったのだそうです。
また余談ではありますが、正親町天皇の皇子誠仁親王は、父よりも早く薨去し、正親町天皇の次代は誠仁親王の第一皇子が継いでいて、現在の皇室はこの誠仁親王の子孫にあたるとのことです。
正親町天皇のことを現在の皇室と比較して考えると、なかなか興味深い史実が出て来たりします。正に「古きを訪ねて新しきを知る」ですね。
また「日本神話と日本のホロスコープ」でも書いたことなのですが、古事記等の記紀は預言書として読まれることもありますが、それは多くの場合、記紀に掲載されている物語が「型示し」をしていると考えられているからです。
いわば踏襲しがちな「事象の展開パターン」として、物語の内容を考えると言うことなのですね。
えっ、なんでここで急に記紀の話?と戸惑った方もいたかも知れませんが、勘の良い方なら、私がここで何を言いたいかもうお分かりでしょう。
分からない方もいずれは気付く時が来ると思いますので、あの宮家に関してカリカリしてヒステリックに感情的な批判をすることはせずに、冷静に“法的な問題の対応を求めて追求していかれる方が良い”と思います。
ネットを観ていても、批判的な感情が強過ぎる余り些細なことにまで批判する内容を発信し続けていたり、発信せずとも内に抱え込んでしまっている人ほど、声が出難くなったり、身体に痛みを感じるなどの形で体調を崩している方が多いようです。
怒りの感情は自分自身をも傷付けるのです。まさに「人を呪わば穴二つ」ですね。
あの方々の毒気にやられたとか呪われてるとか言う人もいますが、怒りの感情はネガティブな波長を持っていますから、同様のネガティブな波長と共鳴し易く、お互い増幅し合ってトラブルを引き寄せ易くするのです。(悪い引き寄せ)
でもそれって、つまらないと思いませんか?
思考パターンを切り替えて、建設的な考え方や受け止め方をする訓練をした方が良いでしょう?
俗に言う「アンガーコントロール」ですね。
確か世界的に有名なアスリートの言葉だったかと思いますが「自分でどうこう出来ないことは考えないようにしている。」との話を聞いたことがあります。
逆の言い方をするなら「自分が問題解決の為に動けること、自分の行動で状況を変えることが可能なことだけを考える」と言うのです。
自分でどうにも出来ないことにいつまでも執着してこだわり続けることは、非生産的ですし、何より自分の心身が病みます。
非生産的なことに囚われるのはやめて、常に生産的なことを考える。
それが成功を手にしている人の思考パターンだと言うことなのです。
皇室問題の解決の為に私たちが行動できる(もしくは出来そうな)ことは何でしょうか?
皇室問題の解決に意欲的な議員を選挙で選ぶ?
然るべき省庁に陳情書などを送る?
貴女が今批判している内容が、少なくともそういったことで解決が図れるような類の話題では無いなと思うなら、その批判は誹謗中傷と言われても仕方が無い面があるでしょう。
にも関わらず、行動で解決が図れないことをいつまでも根に持ちイライラして、自分では解決しようが無いことで批判を繰り返し、周囲にネガティブな空気を撒き散らして不快にさせた挙句、最終的には自分も病んでしまう。
これほど非生産的でつまらないことはありません。
何故ならその時点で自分が不愉快に思っている対象に、負けてしまっているわけですからね。
件のアスリートなど成功者の思考パターンをロールモデルとし、生産的で建設的な思考パターンを身につけるべく、自らの意識を変えてみませんか?
ドツボにハマっている人は、大抵の場合、視野が狭くなっています。その問題にのみ捕らわれていて、周囲が見えなくなっていることが多いのです。
もっと視野を広く持ち、一見絶望的に見える状況の中にもポジティブな要素がないか…視点を変えて見たら、実際はポジティブ要素だったと言うことは往々にしてあるものなのですから…、探してみましょう。
と言うわけで、“巷で噂される「イエズス会」の「息のかかった方々の野心や思惑」は別として”、世界的な大きな流れで見れば、英国のチャールズ3世によるエキュメニズム的な動きと同様に、神道と仏教は皇室により再び習合への道を歩み始めているのかも知れません。
因みに奈良で上皇・上皇后両陛下がご訪問された「中宮寺」は聖徳太子が開基された寺院で、その後、戦国時代に中宮寺は炎上したため、現在地にあった法隆寺の子院に避難し、そのままそこに寺基を移されていますが、こちらの寺院も大聖寺同様に尼門跡寺院なのだそうです。
聖徳太子(厩戸皇子)=イエス・キリスト説があるくらいですので、上皇后様にとってはこちらの寺院の方が、加護と言うかご縁がありそうではありますね。
ただし聖徳太子は積極的に仏教を取り入れて、当時はまだ不安定だった皇室を守り、社会の安定を図る為に尽力した方ではありましたが。
つまり(あくまでも私の個人的な推測・意見になりますが)、
仮に聖徳太子がイエス・キリストもしくはその関係・系統の人間だったのだとしても新たにキリスト教を皇室や日本に押し込もうとするのでは無く、
積極的に仏教を取り入れることで、
神道・景教(もしくは古代ユダヤ教)・仏教の(勢力の)融和ないしは均衡を図ったのかも知れません。
(それが結果的に、その後の時代において「神道は宗教では無く在り方」と考えられるようになり、神道は信仰する宗教に関係なく人々を受け入れる下地が出来た、とも考えられるのではないでしょうか?)
まとめ
これまでにも過去記事で何となくは触れて来たことではありますが、今ある宗教を廃棄し新たな宗教を作らなくとも、例えば「神道と言うベースが世界にあれば、世界中の宗教との接点や融和の場が提供できる」わけですよね。
それはチャールズ3世王の願いである「全ての宗教の擁護者でありたい」を叶えるものーーーある意味、理想の形ーーーでもあることでしょう。
そう考えれば今上陛下がチャールズ3世王にとってどれだけ大切な存在かが、(今上陛下の英留学時の家族同様の交流があったこととは別の視点からも)分かろうと言うものです。
けれども共産主義者や一部の国際金融資本家は、そうしたやり方を認めず、あくまでも自己中心的なものの見方とやり方を押し付けようとしているわけです。
そう言う輩には「数は力」で押し通すしかないのかも知れません。
だとしたら、その為には自己中な人達に都合の良い報道しかしないオールドメディアを、いかに変えて行くか?
そう言う視点と知恵が必要なのかも知れませんね。
チャールズ3世王がかつて世界経済フォーラム会長クラウス・シュワブと共にダボスでグレートリセット宣言をしたとは言っても、
チャールズ3世王のスピーチを幾つか観た限りでは、国王は共産主義に対しては否定的なニュアンスで語っています。
とは言え今ある宗教を廃止するのでは無く、取り敢えずは足元の宗教や信仰に対する原点回帰と古代宗教や兄弟宗教との融和・統合と言う形を採るにしても、それらは将来的に皇室や英王室の在り方そのものを変える要因となり得ます。
男系男子固持派の人たちは、女性天皇は女系天皇に繋がり、女系天皇になれば王朝が変わると言い時代の流れに抵抗していますが、
今ある世界の流れはそんな小さな範囲の話では無く、世界の宗教の在り方を変えようとする動きが、将来的に皇室および世界各国の王室の在り方そのものにも影響を与え、変えようとする時代に入って来ているのです。
と同時にチャールズ3世王が思い描く「新世界秩序」は、恐らくは「クラウス・シュワブが思い描いているものとは違ったもの」なのでしょう。
(個人的には世界連邦-政府(主義)に近い形を想定しているのでは無いか?と感じます。世界連邦-政府(主義)については「日本神話と日本のホロスコープ 第3章」もご参照くださいませ。)
![](https://assets.st-note.com/img/1684592507858-DRhewS1VCH.png?width=1200)
では最後に、参考までにヘッダー画像の説明を入れておきます。(興味のない方は飛ばしていただいて大丈夫です。)
中央は龍雲が取り巻く富士山。どちらも古代から日本の信仰の対象です。
その背景には右から、
ドルイド教の象徴的存在のひとつグリーンマンと、
水神の代表格である龍神、
ストーンヘンジとキリスト教の象徴クロス。
クロスの下にはケルト系キリスト教の象徴であるケルティッククロス。
富士の麓の最奥から手前にシュメール神話の水神(と同時に金星の象徴でもある)で豊穣の女神であるイナンナ、イナンナの系譜のシュメールの豊穣の女神で軍神でもあるイシュタル。
これらがインドに入りヒンドゥー教の豊穣の女神サラヴァスティに。
さらにこのサラヴァスティがチベット仏教の弁財(弁才)天になったと言われていますが、そうした変遷を図にしています。
普通弁財天は白蛇と共に描かれることが多いですが、龍雲の尻尾に乗っかり騎龍弁財天の様な形にしています。また龍神は瀬織津姫命の化身とも言われています。
全体に飛び交う青い蝶も、古代日本で神道成立以前に信仰されていた女神とされ、記紀には登場せず祝詞の中にだけその名前が存在する浄化の女神で超古代の水神・瀬織津姫命の化身であり、象徴となっています。
また蝶のモチーフは神秘学的にはプシュケー=魂の象徴とされており、キリスト教の宗教絵画などにもよく見られるものです。
チャールズ3世王の戴冠式の招待状では英国の自然を表すシンボルとしても描かれており、両国をつなぐ象徴的な素材として入れています。
右下には神道の象徴で、古代ユダヤ教との繋がりも指摘されることがある赤い鳥居。その向こうには天照大御神である太陽。
そもそもユダヤ同祖論は英国にもあり、アーサー王の物語が聖書の物語に似ていると言う指摘があるとも聞きます。
アーサー王の物語は、一般的にはケルト神話や民話との関連で語られることが多いと思いますが、ケルトのモチーフのひとつでもあるグリーンマンは、ギリシャ神話のデュオニソス(ローマ神話のバッカス)との関連も指摘されていたりします。
いずれにせよ、地球上で色々なものが分断され細分化されて互いに争い合っているのは、欲深くエゴの強い人間側の勝手な都合でしょう。
光と影は常に一対のものです。光だけ、影だけの世界はあり得ません。
光が強くなれば影も濃くなり、光が弱まれば影も薄くなるのが自然の道理です。
宇宙的視点で観れば、地球上の全ての物事は繋がり合い影響し合っていると言う世界観を表現してみました。
![](https://assets.st-note.com/img/1684592244959-C2UIQRkhvm.png?width=1200)
長文に最後までお付き合い頂きました皆様には、大変ありがとうございました。
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次回はLGBTQ法案関連の記事を予定しています。
良かったら、また次回も会いにきて下さいね。
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【脚注】
※;『ハムレット』の要点を押さえて解説!あらすじから名言まで | ホンシェルジュ
【参考資料】
今回は全て動画です。
☆印は記事中のYouTubeの動画と同じ設定の方法で、日本語字幕を付けて観ることが出来ます。
チャールズ 3 世国王、オックスフォード イスラム研究センターに王室憲章授与記念講演 ⭐︎
チャールズ 3 世国王、オックスフォード イスラム研究センター落成式記念講演⭐︎
2010 年シェルドニアン・シアターで 「イスラムと環境」に関する国王チャールズ 3 世 オックスフォード・イスラム研究センター設立25周年記念講演⭐︎