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ボートレーサーにおける期の考察 大成する選手は養成所チャンプではなく、『○○1位』【前編】


ボートレースの選手は、「ボートレーサー養成所」で1年間集中して訓練を受け、半年に1回ずつ、ひとつの期で約30人がデビューしていく。これまで134期、5351人が登録されてきた。そして選手として経験を重ねても、引退するまで各々の『期』についての思いや交流は様々だという。またファンにとっても、『期』は話題になることが多いテーマといえる。

養成所で同期と1年間の訓練がスタート!!

ボートレースの場合、選手志望のほとんどが未経験者だ。「ボートレーサー養成所」に入所し、そこで1年の訓練を受けた後、国家試験に合格しなければならない。そのため、同じ養成期の仲間と過ごすこの1年間が、とても濃密な時間となってくる。

年2回、4月と10月に入所

まず各期の養成について、あらましを記しておこう。
現在は年に2回、選手募集が行われ、それぞれの期で1000名を超える応募があり、入所試験の合格者は50名程度。毎年、偶数期が4月に入所して翌年3月末に卒業、奇数期が10月に入所する。
入所後は、まず最初の3か月で教官の運転によって水面に慣れ、並行してエンジンの装着や組み立てなどを学ぶ。続いて4か月目から実際に乗艇して旋回やスタートなどの練習が行われる。半年を経過すると進級試験が行われ、それに合格しなければ次の課程へは進めない。そして最後の4か月で模擬レース(リーグ戦)を行い、修了記念レースへと向かう。
在所中は常に体力や操縦及び整備技術、学科、さらに体重管理や適性などが厳しくチェックされ、研修生の半数近くは中途で半強制的に退所させられる。

本栖から「やまと」へ

選手の養成及び期については、これまでに多くの変遷があった(表1を参考)。

ボートレースが始まった当時は、琵琶湖をはじめ各地で2か月程度の養成で実戦へ。1952(昭和27)年4月の初開催から約5年で、登録番号1315までの選手がデビューしていった(現在では「期前」と呼ばれている)。 全国モーターボート競走連合会(略称「全モ連」:現在の日本モーターボート競走会)で養成が始まったのは、57年5月登録の1期生から。その後約10年弱は各地ボートレース場を利用して選手養成を行っていたが、66年に山梨県に「本栖研修所」が開所して、24期以降の訓練を開始した。さらに73年・36期から修了記念競走も開始するようになった。 しかし90年代末期より本栖湖の水位が安定しなくなり、訓練に支障をきたすようになったので、新たな訓練施設への移転を模索。2001(平成13)年に福岡県柳川市へ移転し、88・89期の一部訓練から開始。90期以降の現役選手は純粋な"やまと育ち"となる。

106期より応募資格が拡大

ボートレーサーの応募で大きな転換があったのは09年、106期からだ。それまでは応募資格の年齢制限が厳しかったが、106期より応募資格が拡大され、年齢が低年齢化していたが、この期から30歳未満と大幅に緩和された。それと同時に、指定したいくつかのスポーツ種目で顕著な実績を残した選手が受験できる「特別選抜試験」を新設。さらに110期からは、一般試験の枠内で「スポーツ推薦」も設けた。 また122期からは「やまと学校」から現在の「ボートレーサー養成所」へ改称、訓練費用を無償化して現在に至る。
そして今年も3月に134期が卒業していった。応募から修了までの人数は表2の通りである。

ちなみに138期の募集が7月1日から始まった(締切は9月6日)。入所試験は11月10日以降3次まで行われ、合格発表は来年の1月上旬。合格者は4月1日より養成所に入所する。

根強かった「期の最年少は出世する」というジンクス

コアなファンなら一度は聞いたことがあるだろう、「各期の最年少最強伝説」。これが語られる時代があった。確かに60期から70期代半ばまでは、各期の最年少選手がトップ戦線を彩った。それが影響したのか、82期から選手応募資格の上限が21歳未満と下がり、90期からは下限も14歳に下がっている。106期から上限は拡大されたが、114期・羽野直也の出現で、"最年少伝説"が復活するかもしれない。

まず目指す各期の修了記念王者!大成の可能性が高いのは勝率1位。しかし下位から出世する選手も…

最近の決定戦は波乱劇がない

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