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地テシ:385 「バサラオ」の基礎知識 南北朝の始まり篇

 本日、9月7日(土)、劇団☆新感線「バサラオ」ライブビューイングはいかがでしたでしょうか? お近くの日本全国(+台湾)の映画館にてお楽しみ頂けたのならば良いのですが。東京・明治座まで来るのは大変ですからね。地元でもご覧頂けるライブビューイングってのはいいですよね。


 さて、ここからは《「バサラオ」が更に面白くなるかもしれない運転》ですよ。第三回ですよ。今回は南北朝時代の始まり辺りを太平記を中心にザックリとまとめてみたいと思います。
 これまでも「バサラオ」とは直接は関係の無い日本史を書いてきましたけど、今回なんてもう「バサラオ」とはほぼほぼ関係ありません。関係ないのかよ。ええ、関係ないんです。南北朝近辺の歴史を下敷きとした「バサラオ」ですが、後半は中島かずきさんの創作具合が加速していきますので、史実からは大きく離れていくんです。ま、そりゃあそういう作品だからね。
 ですが、ここまで南北朝直前の解説をしてきたからさ、せめて南北朝の始まり辺りまでは書いておきたいのよ。ネタバレ度合いは低いので大丈夫だと思いますけど、例によって気になる方はお気をつけ下さいませね。


 前々回、前回と鎌倉幕府滅亡から後醍醐天皇(ゴダイゴ)による建武の新政までを見てきましたね。武家政権から天皇親政に移行したというコトです。
 でも、実際に鎌倉幕府を攻め落としたのは新田義貞(ニッタヨシサダ)ですし、その直前に六波羅探題を攻め落としたのは足利高氏です。そして「鎌倉幕府を滅ぼせ」と令旨を出したのは護良親王=大塔宮(オオトウノミヤ)です。
 実際に行動したのはこれらの人々を始めとした数多くの武士たちです。しかし、後醍醐帝は武士を軽んじ、公家に重きを置いたために武士たちは不満を募らせていくワケです。

 そんな折、日本各地で北条の残党が反乱を起こします。中でも有名なのは北条時行による「中先代(なかせんだい)の乱」でしょう。そう、丁度いまアニメ放映中の「逃げ上手の若君」の主人公ですよ。
 北条時行は鎌倉末期の最高権力者であった北条高時(ホウジョウタカトキ)の息子。幕府滅亡時に信濃に逃げ、諏訪氏に匿われていました。そして関東の武士たちを集めて鎌倉を攻め落とします。この時の時行は7歳くらいと言われておりますから、旗印として担ぎ上げられたのでしょう。
 この頃の鎌倉を守っていたのは足利尊氏(高氏から改名)の弟である足利直義。逃げながら京都へ急を知らせます。そして京都から尊氏が出陣し、直義と合流して鎌倉を奪い返します。時行はわずか20日あまりで鎌倉から逃げ出しました。これが中先代の乱です。
 ちなみに、なぜ《中先代》なのかといいますと、中心となった北条時行が、武家筆頭の先代である父・高時と、次代である足利尊氏との間だから《中先代》と呼ばれたのだそうですよ。そう言われてもなんかピンとこないけど。

 さて、鎌倉を取り戻した尊氏ですが、そのまま鎌倉に居座ります。さらに今回の戦の論功行賞を行ったりして、京都へ戻れという命令を無視します。
 こうなると後醍醐帝も黙ってはいません。新田義貞を大将として尊氏討伐の軍を向かわせます。ところが! 足利軍は朝廷軍を跳ね返し、しかもそのまま京都へと攻め上って京都を占領してしまいます。
 ところがところが! 奥州から北畠顕家(キタバタケアキイエ)が超高速で進軍してきて、新田義貞、楠木正成(クスノキマサシゲ)の軍と合流して、足利軍を京都から追い落としてしまいます。そして足利軍は海路で九州へと落ち延びていったのでした。

 どう? この取ったり取られたり。鎌倉も京都も、色んな勢力が取ったり取られたりです。もう大騒動です。この辺りはややこしいけど面白いトコロなのですが、まだまだ波乱があるんですよ。

 ちなみに先ほど出てきた北畠顕家ですが、前回書いた《後の三房》の一人・北畠親房の息子でして、つまり公家です。ちなみにこの時の顕家は16歳くらい。紅顔の美少年だったそうですよ。公家なのに武術に秀で、若年ながら奥州を平定するほどの戦略と政治手腕の持ち主でした。
 また、舞にも長けていて、後醍醐天皇の前で「陵王」を舞ったという逸話が有名です。「陵王」というのは雅楽の舞楽で、中国の《蘭陵王》の故事を元にしたものです。
 北斉の蘭陵王長恭は武に長けた強い武将でしたが、とても美しくて部下も見とれてしまうほどだったので、味方の士気を高めるために獰猛な仮面を被って戦ったのだそうです。ですので、この曲を舞う時には迫力のある仮面を被るのだとか。当然、顕家も仮面を被って舞ったのでしょう。顕家といえば陵王なのです。

 それと、同じく先ほど出てきた忠臣にして天才軍師の楠木正成といえば、私のような大阪の者にとっては地元のヒーローです。元々は河内の悪党(公権力の支配下にない者)だったともいわれておりますが、後醍醐天皇に仕えてからは忠義一筋にその知略の限りを尽くして奮戦します。
 最後には負けると判っている戦に臨み、兵庫県の湊川にて討ち死にをすることになるのですが、それについてはこの先をお読み下さいませ。


 さて、九州に追い落とされ、わずか500人にまで減ってしまった足利軍。しかし、ここから尊氏無双が始まります。怒濤の勢いで勝ち進み、倒した敵を配下にしながら二ヶ月足らずで九州一円を支配下に納め、今度は京都に向かって進軍を始めます。
 陸路と海路で攻め上り、どんどんとその勢力を強めて50万騎を超え、湊川で楠木正成を破って京都を奪還しました。後醍醐帝と新田義貞は比叡山へと退却します。
 足利軍が京都を追い落とされてから再奪還するまで、わずか四ヶ月。この頃の尊氏の強さは太平記にも「武運の天に叶える」と記されているほど無敵でした。

 その後、後醍醐軍は何度も京都を攻めますが取り返せず、和睦によって後醍醐帝は京都に下って幽閉され、三種の神器が渡されて光明天皇が即位します。そして足利氏は「建武式目」を制定して武家政権を始め、まあ大体この辺りをもって室町幕府の成立とされています。

 ところがどっこい! 後醍醐帝は京都を抜け出して吉野へと逃げまして、光明帝に渡した三種の神器はニセモノだぜ! こっちが正統だぜ! と言って吉野朝廷を開きます。
 これによって二つの朝廷が並び立つことになり、これを指して南北朝時代と言うようになったのですね。京都の光明天皇が北朝、吉野の後醍醐天皇が南朝というコトになります。


 はい! これで南北朝の始まりまでをザックリとまとめましたよ。鎌倉幕府滅亡から建武の新政を経て南北朝が始まるまで、わずか三年半。え? そんな短期間で? ええ、怒濤の展開です。波瀾万丈です。いやもう、この時代を生きた人々は大変だったと思いますけどねえ。
 この後、南朝側も何度か京都を奪還しますが、その度に北朝側に追い出され、膠着状態が続きます。南朝は軍事力としてはそれほどではなかったようですが、政治的に存在価値があったのです。
 武家公家に限らず、家内や氏族内で対立があった場合、どちらかが北朝側に付けば反対側は南朝側に付く、といった形で南朝の勢力は保存されていきます。足利尊氏と弟の足利直義の対立ですらそうだったのです。この辺りが南北朝時代のややこしさの元凶なんですけどね。元号も二種類覚えなきゃいけないし。

 そんなこんなで南北朝時代は60年ほど続きます。そして三代将軍足利義満の時代になってようやく折り合いが付くというワケなのです。うわあ、大変だったねえ。
 鎌倉幕府から室町幕府へと武家政権が続くのではなく、間に建武の新政とその失敗が挟まることによって、天皇や公家の弱体化や武家勢力の再編成、全国統治の仕方の変化など、様々な変容が起こったようですので、これもまた重要な時代の流れなのでしょう。


 最後に、この頃の文化についてサラッとだけ当たっておきましょう。鎌倉時代の文化といえば宋風の禅っぽい鎌倉仏教とか、軍記物語とか、随筆や和歌集、絵巻、仏教彫刻などなど色々とありますが、ココで書きたいのは「能の成立」についてです。
 古代から鎌倉に掛けて、宮廷から民衆へと広まっていった猿楽は物真似や歌舞音曲などを含んだ様々な芸でしたが、南北朝から室町の頃に観阿弥世阿弥の親子が猿楽を大きく進化させて大成しました。そして足利義満などの庇護も受けて発展し、現代の《能》へと繋がっていくのです。
 観阿弥と同世代の猿楽師に道阿弥がおりまして、歌舞を得意として人気があり、足利義満にも愛されたのだとか。この道阿弥の若い頃の名が犬王(イヌオウ)でして、数年前に小説やアニメで話題となった「犬王」のモデルです。アニメ版では森山未來くんも声優として参加していましたね。

 鎌倉から建武の新政、室町と戦乱によって時代が移り変わっても、人々は力強く生き、そして民衆文化も静かに大きく発展していたのですね。


 いかがでしょうか。鎌倉幕府滅亡から南北朝成立辺りまでを太平記を中心に三回に渡ってザックリとまとめてみました。本当にザックリと、主に「バサラオ」と関係のありそうな所を中心にしたので端折った部分も多いのですが、皆様のご観劇後の参考になりますれば幸いです。
 あと、素人のまとめですので誤った解釈や勘違いがある場合もございますので、その点はご注意下さい。あくまでもザックリですからね。いやこれはもうサックリかもしれません。いや、スックリかもしれません。なんだスックリって。まあ、ヌックリじゃなくてよかったけど。だからなんだヌックリって。


 東京公演も残り三週間足らず。あ、《残り少ない》というつもりで書き出したのですが、三週間足らずなら結構まだまだありますね。まあとにかく、ライブビューイングは無事に終わりましたが、大阪公演の終わる10/17まで気をつけて行きたいと思います。そうなんです、バサラの宴はまだまだ続きますよ!