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地テシ:298 保土ヶ谷宿から戸塚宿へと! 前篇

今年一発目の舞台であった「海底二万里稽古初日」のアーカイブ映像が配信されましたよ!

平均年齢ほぼ60歳のおじさんたちによる、架空舞台の稽古初日の様子を公開しております。1/31までの限定公開ですので、興味のある方はぜひご覧下さいませ。


それから、つい先日の1/20には劇団☆新感線「ミナト町純情オセロ」の製作発表が行われました。作家、演出家とメインキャストが登壇して見どころやら意気込みやら稽古裏話やらを語りましたよ。

その模様は新聞とかニュースサイトとかtwitterとかの様々なメディアにも取り上げて頂いております。12年ぶりの再演となる今作ですが、設定がかなり変わっておりますので演出も新しく、結局の所ほぼ新作みたいに作り直しておりますよ。
ゲストのお三方も初新感線ということで、かなり新鮮な舞台になると思われます。東京は3月、大阪は4月ですのでどうぞお楽しみに。


それと、昨春上演された劇団☆新感線「神州無頼街」のゲキ×シネも始まっております。

幕末物語なのに薩長も幕軍もほとんど出てこない、富士の裾野のド派手な冒険譚です。是非とも映画館の大スクリーンでその迫力をお楽しみ下さい。

ふう。告知するべきネタが多いなあ。いや、告知ネタが多いことは良いことです。


さて、年始お馴染みの大イベントといえば箱根駅伝ですよね。私自身はそれほど興味は無いので、まあテレビ中継やニュースをチラッと見たりする程度です。年明けのノンビリした気分でテレビをつけて駅伝が映ったら暫く見ちゃう、てな感じでしょうか。
ところで、私がtwitterでフォローしているアカウントに「日本地理学会」さんがありましてね。地理に関する様々な情報を発信して下さっていて大変興味深い。で、駅伝の時には走行コースに関する地理的な雑学が連投ツイートされるのです。駅伝にはさほど興味は無いけど、こちらの地理雑学ツイートは毎年面白く拝見しておりました。

そんな中、日本地理学会さんがリツイートしていた國學院大學地理学研究会さんの記事が目に留まりました。

どうやら保土ヶ谷と戸塚の間にある権太坂は、今の駅伝コースである現東海道よりも旧東海道の方が急な坂道のようです。というか、旧東海道の急坂が本来の権太坂のようです。

昨年の「神州無頼街」富士市公演の時に旧東海道を散歩した話は以前にも書きました。

元々旧街道が好きだった私ですが、なんだかあれ以来さらに古道が好きになりましてね、千歳烏山あたりの旧甲州街道も歩いてみたりしましたよ。

そして新年早々、旧東海道の坂道という美味しそうなワードを頂きましたらば気にしない方が無理というモノでしょう。丁度ノンビリタイムだった期間ですから行ってみようと思ってしまうのは当然です。では、行ってみましょうそうしましょう。


実は、旧街道を歩くのが好きだという人はかなり多くて、ちょっと検索するだけで様々な紹介記事が見つかります。今回は旧街道を実際に歩いて確かめた「人力(じんりき)」さんや、web上で古地図が見られる「今昔マップon the web」さん、複数の古地図を収録したiPhoneアプリの「東京時層地図」「横濱時層地図」などを参考にしております。まあ、なんとも便利な時代になりました。

さて、まずはJR横須賀線・湘南新宿ラインの保土ヶ谷駅に行きましょう。旧東海道といえばこれまでにも東京エリアの品川駅~立会川駅あたりとかは歩いたことがありますが、神奈川エリアはあまり知りません。保土ヶ谷駅で降りたのも初めてです。

ほどがやって響きが良いよね。名古屋人が好きそうだし

西口に出ると小振りなロータリーがあります。ロータリーから右斜めの方角に延びている広い道の、今井川を渡る橋の辺りに旧東海道の案内図もあります。

見どころも一杯書いてくれています

で、そのすぐ先には妙な形の五叉路があります。この五叉路があるのが旧東海道。駅前から歩いてきた広い道が緩く右に曲がって繋がるのが旧東海道の神奈川宿方面。で、その反対側に真っ直ぐ繋がるちょっと細い道が旧東海道の保土ヶ谷宿方面です。

今、南西方面を向いています。こちらが保土ヶ谷・戸塚方面

この辺りの旧東海道はかなり直線です。この旧東海道の西側には曲がりくねった「古東海道」というのもあるようなのですが、それについて話し始めると長くなっちゃうから割愛。

で、直線の旧東海道を歩いていると「問屋町跡」とか「高札場跡」とかの看板もあるんだけど、そういうのはちゃんとしたガイドブックやガイドサイトで見て下さい。
私が気になるのは旧街道沿いの家々。やたら古い民家が建っていたり、やたら敷地が広くて立派な石塀のあるお家が建っていたりするのを楽しむのです。それが個人的な旧街道の注目点。
で、「助郷会所跡」の看板の辺りにあるのが「北川製粉所」さん。

昭和っぽい建物が奥側に見えるでしょ

明治19年創業の製粉所だそうです。奥に新しい工場があるのですが、手前の旧工場らしき建物の風情が良いよね。道路に面している部分が旧工場と旧店舗で、その奥が生活スペースで、って勝手に想像してしまうよね。
また、もう少し先には古っぽい洋品店が。

道に面した二階部分はたぶん看板のためだけのモノだと思います

こちらの「歌瑠多」さんはリサイクルを中心とした洋品店のようですが、道に面した部分の看板建築的な趣が素敵です。多分テント幌があったんでしょうね、骨組みだけしか残ってないけど。店舗のトタン壁にも年季を感じます。

この直線路はJR線を踏切で越えますが、その名も「東海道踏切」。そして広い道路(国道1号線=現東海道)に突き当たりますが、この辺りが保土ヶ谷宿の「本陣」です。

朽ち果てたような建物が建っていますが、もうちょっと整備したら良いのに

本陣跡には古っぽい建物が残っていますが、こちらは大正前後の建物でしょうか。よく判らないけど。ちなみに本陣というのは江戸時代の参勤交代で大名が泊まるような大きな宿屋のことです。
近所には本陣の予備である「脇本陣」もいくつかあったようで、それらの看板もありました。
大名が泊まる本陣、脇本陣の他にも一般庶民が泊まる旅籠もたくさんあったようです。その一つが現存しておりました。

いきなり古風な建物が現れてビックリしますよ
丁寧な解説看板もありました

現存といっても明治2年に建て替えられたものですが、こちらの「本金子屋」さんは実際の旅籠として営業していた建物が残っているのです。国道1号の拡幅工事で敷地は削られてしまったそうですが、建物はそのまま残っているようです。保土ヶ谷あたりで唯一明治の風情を残している建物かもしれません。

さあ、ドンドン行きましょう。本陣の辺りで直角に曲がった旧東海道は現東海道の幅広い道に飲み込まれたまま西に進みますが、現東海道が緩やかに左に曲がる辺りで右に逸れます。というか、旧東海道はあくまでも真っ直ぐ進むので現東海道の方が逸れていくのですね。
その分かれ目がこんな感じ。

建物の高さの違いにも注目して下さい

左側の太い道が現東海道で、右側の対向一車線の細道が旧東海道。道の太さも違いますが、立っている家々の風情までもが違うのが興味深い。
右側の旧東海道を進むと色々と面白いモノが飛び込んできます。まず、この旧街道のスグ北側をJR線が併走しているのですが、この旧東海道とJR線の間が面白いんですよ。
まず、「樹源寺」というお寺の横に跨線人道橋が建設中でした。

左側のお寺と、奥に見える森(墓地)の間にJR線が走っています

地図で見てみると、この樹源寺の裏手に墓地があり、今は踏切で繋がっているようですが、その踏切を廃止するために跨線橋を建設しているようです。
古地図で見るとかつては樹源寺と墓地は繋がっていましたが、JR線が開通したことで分断されてしまったようです。そりゃ困るよねえ、寺と墓地が分断されちゃっちゃあ。おそらく踏切が危険だったので跨線橋が架けられるようになったのでしょう。

その先の民家のベランダでキューピーさんが虐待にあっていました。

サングラスと帽子はせめてもの情けか

何がどうしてこうなったのかは謎です。

保土ヶ谷宿は今井川の谷にあるので両側に山が迫っています。旧東海道とJR線の間も盛り上がっており、崩落の危険のある急斜面もありました。

右端に樹源寺と踏切が描かれていますね

そんな斜面にも民家は建ち並んでおり、狭くて急で曲がりくねった階段がありました。登り切っても行き止まりですが、かなりの高低差がありますのでなんだか見晴らしが良かったです。

小高い丘のようになっています。上の方にも家が見えるでしょ
旧東海道方面の南側を見ています

旧東海道に戻り、突き当たりを左に曲がって暫く行くと国道1号に合流しますが、旧東海道はそのちょっと手前で右に曲がります。ここから先が本物の権太坂。

こういう看板が各所にあるので迷うことはないでしょう。それほどまでに旧東海道を歩く人は多いのです
こちらが権太坂。この先にもずっと続いています。なだらかながらも長い坂道です

日本橋からここまでの東海道にはあまり高低差が無くてほとんど平坦な道なので、京方面に向かう旅人にとってはこの権太坂が最初の大きな上り坂だったようです。
ところが、この旧東海道とは思えないほど閑静な住宅街の坂を進んでいくと、思いもよらない光景が待ち構えています。

その名も「権太坂陸橋」。下には横横道路が走っています

坂道が橋になっている! そうです。山を切り通して「横浜横須賀道路」を開いたので旧東海道が切れてしまったために陸橋で繋いでいるのです。空中で繋がる旧東海道。同じように空中で繋がるのは後半にもう一度出てきますよ。

陸橋を渡ると山の尾根筋をくねくねと辿る坂道が続きます。そこには権太坂の石碑も。

かつてはもっと勾配のきつい坂道だったそうです

そして、この辺りの地名も「権太坂」

なんかヤンチャ者っぽいよね、権太坂って

尾根筋を通っているので、両側とも急な下り斜面になっています。坂道もありますが、こんな急階段もありました。

旧東海道から見下ろす住宅地。昔はただの山肌だったんだろうなあ

こんな感じでダラダラと進みますと、やがて少し開けた平らな場所に出ます。この辺りが「境木立場(さかいぎたてば)跡」。開けていて景色が良いので、長い坂に疲れた旅人たちが休憩する場所でもあり、茶屋などもあったようです。

ちょっとした公園みたいになっています
「西に富士、東に江戸湾」という眺望が望めたようです

解説板にも出てくる「若林家」は今でもこの地にあって、風情のある木造建築や門が残されています。

この辺りに何軒か若林さんの家がありました

この境木立場が保土ヶ谷宿~戸塚宿の中間地点辺り。しかもこの辺りは武蔵国と相模国との境でもあったそうで、そのモニュメントもあったりします。「境木地蔵尊」もありますので休憩にはもってこいです。私もちょっと休憩しました。


さてさて、そんなこんなで旧東海道の旅はまだ続きますが、なんだか長くなってしまいましたね。ていうかただ旧東海道を歩いているだけの記事なんて面白いんでしょうか。様々な不安も抱えながらも続きます。今日はこの辺りで。
前回書いた謎の歩道橋もまだ出てきていないけど、それは後編のお楽しみだ!