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地テシ:302 「谷保天満宮」ってば!
前回ご紹介したPS5の超高速オープンワールドゲーム「Forspoken」が40時間ほどでエンディングを迎えました。つまり終わったんですよ。終わりを迎えたってコトはということは終わったというコトなのですが、これがまた不思議なことに終わってないんですよね。
何を言っているのか判らないでしょ。ええ、自分でもよく判りません。要するにエンディングを迎えてスタッフロールも流れたのに、ゲームはまだ続いているのです。広大なフィールドを快適なパルクールで走り回りながらマップ埋めに勤しんでおりますよ。これがまた楽しくて仕方がない。
《強くて新ゲーム》ではないんだけど、強くなった主人公で、進化したパルクールで、広くなったワールドを巡るのが楽しいってコトですよ。最終的な感想はまた後日に書きたいと思いますが、個人的には大変楽しんでおりますぜ。
さて、この12~1月に東京近郊の色んな所を歩き回った私。ていうか、さすがに近所は歩きすぎてちょっと飽きちゃったんで、電車で少し離れた駅まで行って、そこから歩きながら別の駅まで行くというタイプの散歩をしてきたってだけなんですけどね。
中でも、旧街道を歩くというのが私のお気に入りでして、保土ヶ谷~戸塚の旧東海道を歩いた話は先日書きました。
今年の一月、「ミナト町純情オセロ」の稽古が始まってから共演者である村木仁さんから国立市にある「谷保(やぼ)天満宮」が面白いという情報を得ました。しかも、その辺りの旧甲州街道も古い家が多くて楽しいと。
歴史ある神社と古い家々、そして旧街道。もう私の大好物ばかりじゃないですか。こりゃ行かない手はありません。というワケで稽古休みの日に行ってきましたよ。
谷保天満宮というのは関東では最古とも言われている天満宮です。湯島天神、亀戸天満宮と合わせて関東三大天神とも呼ばれている内の一社です。なにしろ主祭神である菅原道真の息子である菅原道武が祠を建てたのが始まりってんですから、直系というかなんというか、由緒正しき天満宮です。
俗説ではありますが、無粋なことを表す「野暮天」の語源にも成ったとも言われておりますから野暮な私にはピッタリです。
というワケで、谷保天満宮に向かって出発しましょう。
谷保天満宮の最寄り駅はJR南武線の「谷保駅」です。天満宮は「やぼ」ですが、駅名は「やほ」です。駅を作る時に「野暮」と繋がるのを避けて「やほ」としたという説もあるそうですが、やっぱりついて回るのですかね、野暮が。
と、谷保駅について説明しましたが、今回降車するのは谷保駅ではなく、ひとつ西にあるJR南武線「矢川駅」です。なんだよ谷保で降りないのかよ野暮だな。と思われるかもしれませんが、旧甲州街道を歩く目的もあるので隣の矢川駅まで行ったのですよ。
まあJR南武線に乗る機会も中々ありませんから、南武線にちょっとでも長く乗車するという意味もありますけどね。
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矢川駅前には国立市周辺の自然や名所の案内板もありました。
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矢川駅から駅前通りを4~5分ほど南下するともう旧甲州街道です。
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旧街道といえば大抵は細くて片側一車線なのが定番ですが、このあたりの旧甲州街道は片側二車線あります。その分、歩道が細いです。これはどうやら1964年の東京オリンピックの頃に無理矢理片側二車線にした名残だそうで、歩道も狭けりゃ車道も狭いんだそうです。
まあいいでしょう。細い歩道を歩きながら東へと向かいましょう。ホントに細くて、場所によっては向こうから人が来るとちょっとズレて道を譲らないといけないほどです。
谷保天満宮に着くまでに旧甲州街道沿いに色々と面白い発見もありましたが、それはまた今度として、とりあえず天満宮に着きました。矢川駅から20分程でしょうか。
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旧甲州街道の南側に鬱蒼とした森があり、そちらが谷保天満宮です。鳥居をくぐって参道を進むと、驚くことに下りの階段がありました。
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一般的に、神社というのは小高いところに築かれているコトが多いのです。神様の坐す場所ですから、周りよりも高い位置に置かれることが多いのですね。
しかし、こちらの谷保天満宮は旧甲州街道から下って詣る、いわゆる「下り宮」です。平坦な場所に神社があるのは(特に比較的新しい神社の場合は)それほど珍しくはありませんが、周りよりも低い場所に神社があるというのは全国的に見てもなかなかに珍しい形です。
階段を降りきったところに天満宮ではお馴染みの座牛の像があり、その右側が拝殿と本殿です。拝殿前にはもちろん「撫牛(なでうし)」もありました。
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やはり菅原道真と牛は関係が深いのですね。
さて、なぜ下り宮なのか。それは境内を歩き回ってみると判ります。境内の南側には天満宮らしく梅園があり(菅原道真は梅とも関係が深い)、その南端には四阿(あずまや)がありました。
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この四阿から南側は土地が低く、見下ろせるようになっています。つまり、谷保天満宮は南に向かっての傾斜地に建っているのです。
この傾斜は立川崖線(がいせん)もしくは府中崖線という、多摩川が削った河岸段丘です。そしてこの崖線の下には《古甲州街道》とも言うべき古い街道がありました。
つまり、谷保天満宮は元々《古甲州街道から登る位置》にあったのですが、江戸初期に甲州街道が崖上に移動した(多摩川に近くて水害が多いから)ために《旧甲州街道から下る位置》になってしまったのです。立地は変わらないのに街道が移動したコトによって下り宮になってしまったというワケです。
ちなみに、この「古街道」というのも最近興味を感じているモノです。この谷保天満宮前後の旧甲州街道にしろ、お正月に行った保土ヶ谷宿前後の旧東海道にしろ、江戸時代から使われている旧街道のくせにやたらと直線区間が多いのを不思議に思っていたのです。そして、ちょっと調べてみると、そういった直線旧街道の近くには曲がりくねった「古甲州街道」とか「古東海道」とかがあるようなのです。
なるほどねえ。つまり、元々は曲がりくねった街道があった(古街道)のですが、江戸時代にいわばバイパスのように付け替えられた街道が整備され(旧街道)、それが現代になってさらにバイパスされた(現街道)という場所があるというコトのようです。
なんか色々浪漫があるでしょ。古街道についても書きたいことはあるのですが、でもまあそれはまた別の時に。
ついでに谷保天満宮のあちこちをご紹介しましょう。まずは解説板を。気になる方は拡大して読んでみて下さい。クリックすれば大きくなります。
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そして拝殿を正面から見た様子。
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おや? 何やら気になるコトが書いてありますね。「交通安全祈願発祥の地」とのコトですが、交通安全祈願といえば成田山新勝寺とか川崎大師とかの方が有名ですよね。
境内を散策している内にその謎も解けました。
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要するに、1908年(明治41年)に有栖川宮威仁(たけひと)親王が日本で初めての「自動車遠乗り会」を催し、その目的地がこの谷保天満宮だったコトが交通安全祈願発祥の地たる所以なのだそうです。
この説明書きの隣には威仁親王の愛車であるダラック号(もしくは国産初の自動車であるタクリー号かも)の顔ハメパネルもありました。
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それと、先ほどの四阿からの景色が素晴らしかったのですが、この日は富士山まで見えました。冬は空気が澄んでいて見通しが良いですね。
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また、本殿の裏には弁天池があり、厳島神社もありました。
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そしてこの弁天池の水源は「常盤の清水」と呼ばれる湧水です。
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谷保天満宮は立川崖線と青柳崖線がぶつかる所にあり、いわゆる「ハケ」とか「ママ」とか呼ばれる傾斜地なので湧水ポイントだというコトでしょう。
このハケにある神社の社叢(しゃそう、いわゆる鎮守の森)も鬱蒼としており、東京都指定文化財・天然記念物になっています。
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規模はそれほど大きくはないものの、珍しい下り宮であるコトに加えて、自然豊かな武蔵野の風情や崖線の湧水など、見どころの多い谷保天満宮。しかも学問だけでなく交通安全にも御利益があるってんですから気になる方は御参拝下さい。JR南武線谷保駅からなら5分とかかりませんよ。
さて、今回の散歩で行きたかった目的の一つは谷保天満宮でした。そしてもう一つの目的は、そうですよ。旧甲州街道ですよ。
この旧甲州街道は谷保天満宮から東に向かうと途中で現甲州街道と合流し、そしてまた現甲州街道から離れて、分倍河原を抜けて府中の大國魂神社へと至ります。この道中がね、また面白かったのよ!
っていう話を次回かその次辺りに書きましょうともそうしましょうとも。