死ぬほど自信がない、私に。
私がエンジンにかかる瞬間、それは、「自分に自信がなくて死にたくなる時」だな、と思う。
とてもネガティブなエンジンだな、と思う。私でも。
でも、私はいつもそうやって自分に挑戦してきた。
新しいことに向かって自分にエンジンをかけられるガソリンは、いつもそういった「ネガティブで惨めな気持ち」だった。
私はこの記事が、そんな私みたいに自信がなくて、だから頑張ってしまう人に届いたらいいなと思う。
そして、どんなにネガティブな気持ちでも、それをガソリンに動けるあなたは、きっと素敵だ、そう伝えたい。私がそうだと信じたいから。
自信がない、理由もないし根拠もないから、
きっとこれは治らない。
私のこの性格と考え方は、きっと変わらないと思う。
これからも自信がない状態で、自信をつける理由や根拠も自分で納得するものを見つけられないまま過ごす。そして、惨めになるたびにきっと何かに挑戦すると思う。
理由と根拠は自信を持つことに対して必須条件ではないと思う。けれど、私は自分自身の存在を理由なしに許せるような人間ではない。自分自身が可愛いと思えたことがないし、自分が友人や家族にとって重要な人物だと考えられたこともない。きっと、私は私自身で私を愛せない。だから、客観的なスペックや、他人からの承認を欲して、生きて、努力をするのだと思う。
私じゃない誰かになりたい、
それが頑張るきっかけでもいい、きっと。
私は私として自信が持てない、常に人の承認が必要で、常に惨めだ。いつだって私の将来の夢は誰か違う人に生まれ変わって人生をやり直すことだ。
私はきっと、永遠に自分が嫌いなままだと思う。英語ができるようになっても、大学院に行っても、社会的に成功しても。一生人と付き合うのが苦手で、時々突拍子もなく泣きたくなって、たまに人生をやめたくなるんだと思う。
でも、それでもいいと思う、それでいいと思って、生きるのだっていいはずだ。
どっちにしたって私たちは頑張っている。私の人生や私たちの価値を諦めていたりはしない。
自分の価値や自分自身が嫌いでたまらないからこそ、変えるために努力ができる。笑ってではないけれど、泣きながらかもしれないけれど、少しでも今よりいい自分を作るために、私たちは生きている。
だから、きっと、これはこれでいい。
幸せに生きることだけが人生の正解ではないと思うから。
惨めだから、這いつくばって頑張れる自分を、文章上でだけでも褒めてあげたい。
きっと私たちは頑張っている。そして、これからも、頑張れる、はず。
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