ひめさまのこと
前回は我が家の猫様、王子のことについて書かせていただいたのだが、実は王子と一緒に我が家にやってきた猫様がもう1匹いる。
今日ご紹介する、ひめさまだ。
ちなみに王子にもひめさまにもちゃんと別に名前はあるのだが、なんとなく2匹ともそれっぽい振る舞いなのと、何より兎に角可愛いので(親バカ)こうした愛称で呼んでいる次第である。
さて、今回はそんなひめさまとのことを少しお話ししよう。
むすー
保護猫の里親募集サイトで見たひめさまの写真は、なんだか節目がちで、少し機嫌が悪そうに見えた。
ひめさまには申し訳ないが、可愛いらしい写りとは、ちょっと言い難い。
その写りを反映しているのか、ひめさまの載ったページは、一緒に保護された他の猫たちと比べても若干閲覧数が少なめだった。
それでも筆者がひめさまのページに目を止めてしまったのには理由があった。
話はかれこれ筆者の幼少期まで遡る。
きりり
自分のことを真っ直ぐ見つめる瞳に、まだ幼かった筆者は若干緊張していた。
思えばきちんと猫という生き物を目の前にしたのは、あれが初めてだったかもしれない。
だが不思議なことに、私は忽ち彼女のことが大好きになった。
元々母の猫だった彼女は、賢い猫だった。
この数年後に引っ越しをしてからは、年に一度ほど遊びに行った時に会うだけだったが、1年ぶりに会った筆者のことも、5年ぶりほどに会った筆者の父のこともちゃんと覚えていていて、きちんと挨拶して迎えてくれた。
これは猫にもよるのだが、年単位で会わないでいると大抵の猫はその人のことをすっかり忘れてしまう。
当時彼女と一緒に飼われていた子なんかは、筆者を見るなり「誰じゃこいつ」とばかりに目をまんまるにして、数時間はじわじわと距離を取ったまま近づいてこなかった。薄情なやつめ。
でも彼女はちゃんと私を見て、それもどこか優しい眼差しで、そして少し掠れた声で静かににゃー、と言ってくれた。
華奢な体を目一杯私の足にすり付けて、撫でると嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らして。
ちゃんと覚えてるで、と言ってくれているかのようだった。
今はもう亡くなってしまったが、筆者の猫好きの原点となった彼女は、今でも大切な存在だ。
ぴーん
本当に、そう音がしたかのようだった。彼女の姿が、ひめさまに重なって見えたのである。
「この子は、我が家で引き取らなければ」
こうしてひめさまは、家族の一員となった。
実際ひめさまは賢い猫だった。
所謂猫らしい性格で、こちらから撫でに行くと少し嫌そうな顔をするのだが、それでも多少はじっとしてくれるところがまず賢い。
いや、というよりは優しいというべきか⁇
それはさておき。撫でてもらうこと自体は大好きで、私がソファでじっと座っていたり、ベッドに横になっているタイミングを見計らってやってくるのだが、
なんと、スマホやタブレットを触っている時は、横でじっと待っているのである。
そして、電源を切って横に置いたところで、ようやっと膝に乗ってくる。
大抵の場合、猫はパソコンだろうが新聞だろうが乗ってきて邪魔をしに来るものである。
それがひめさまは、横でじっと待っている。
賢い。うちの子天才。(親バカ)
その気遣いができる賢さと、優しさと、それでいて猫らしく自分の意志をきちんと持っている様は、やはりあの彼女を彷彿とさせるのである。
華奢なひめさまの体を撫でながら、ゴロゴロと喉を鳴らす様を見ながら、今日も私はどこかで彼女のことを思い出す。
そして、ひめさまとの縁を繋いでくれた彼女に今日もまた感謝する。