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怠惰の美徳【Sandwiches #82】
友人に「導入が毎度天気の話題なのはどうにかならんのか」と言われてしもうた、たしかに振り返ってみるとやれ晴れた、やれ雨だ、とちょくちょく似通った書き出しが散見されて、苦笑いのわたしです。
んでもよ、小学生のころに書かされた「夏休みの日記」なんてやつも必ず「はれ」「くもり」「あめ」なんて記す箇所があったじゃない(たいてい最終日になって、古新聞の天気予報コーナをあさっては適当に埋めた記憶があります)。きっとその日のムードをあらわすのにちょうどいい記号だからこそやろうて、お天気導入システム、決して馬鹿にゃできんわけでありますよ。でしょ。んで今日はといえば、また暑うございましたね!
タイトルにおいた「怠惰の美徳」の文字を読まれて、なんや、またもやだらだら情けないことばの束を押し付けるのんか、とげんなりした向きもおられましょう。ただでさえ初夏の蒸す日にあてられてかなわんし、なるたけシャッキリポンとやれたらいいが……これね、最近少しずつ読んでいる書籍のタイトルなのよ。1965年に没した福岡市出身の作家・梅崎春生の随筆と短編を荻原魚雷氏が編んだもの、わたしはたまたまAmazonで目を留めて購入しました。
これがまた面白くって、にやにやとページをめくるのが朝のルーティーンになっております。冒頭の「三十二歳」という詩をすこし引用してみましょう。
三十二歳になったというのに
まだ こんなことをしている
二畳の部屋に 寝起きして
小説を書くなどと力んでいるが
ろくな文章も書けないくせに
年若い新進作家の悪口ばかり云っている
女房も持てない 甲斐性なしだから
外食券食堂でぼそぼそと飯を嚙み
夕暮 帰ってくると 不潔な涙を瞼にためて
窓から 空を見上げてぼんやりしている
(後略)
(梅崎春生著・萩原魚雷編『怠惰の美徳』2018年 / 中央公論新社 / p.11より)
伝わるやろうか、このしょぼくれた筆致のやるせなさ。とくに「女房も持てない〜ぼんやりしている」のくだりは、思わず読んでいるわたしの方まで「不潔な涙を瞼にため」ぐずりそうになるが、とかく本書におさめられた随筆ひとつひとつがこうした素朴でユーモラスな味わいの自虐につらぬかれておるのです。
なんでもかんでもおのれに重ね合わせるような本の読み方は決して好まないけれど、いまのこころ模様は決して遠からぬところにある気がして、いちいちうんうん、わかるよう、と頷きながら読んでいる。決して暗いわけじゃないのよね、ただただおのずから鬱いでしまうだけでねえ。
さいきんはどうにも読書から離れておったので、ひさびさにとふれてみた次第。『怠惰の美徳』、おなじようにモヤリダラリと浮かない日々を送る諸君におすすめです。
●本日の一曲
静かでやさしい曲を貼っておきますね。
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