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#境界 -土地を区別して捉える感情、郷土愛について

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変わり映えのない田舎道。
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群馬や福島の田んぼ道をドライブしていると、地元「能代」と同じような風景が流れる。
それでも何かが違う。
似たような田舎道であっても、『郷土愛』は沸き起こらない。

同じような街並みでも、郷土ともなれば人は特別な感情を抱く。
なぜ人は、郷土とそれ以外とを区別して捉えるのだろうか。 .

9月半ばに訪れたシルバーテツヤ展。これはある男性が、自身の祖父に高級ファッションブランド品を身に付けてもらい、祖父の住む街での自然豊かな景色を背景に写真を撮ったものだ。
SNSで人気が急上昇し、作品展を開催するに至った。
この展示に行った際、男性が自分と同じ「能代」出身で、さらに同じ高校出身であり、彼の祖父も同じ中学出身であることが判明した。
彼の作品はほとんどが私の地元で撮影されたものだったのだ。

私は視点を『彼の祖父』から、『背景の景色』に変えてみる。よく見るとそれらは地元の滝や海岸であり、昔よく家族で訪れた場所であった。
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その瞬間、頭の片隅に置かれていた記憶の引き出しが開かれ、地元で暮らしていた頃の様々な思い出が景色と共に蘇った。
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学校までの坂道を自転車で駆け上がった先に見えた、
生き生きとした夏雲と揺れ動く稲穂たち。
食卓に並ぶ採れたての山菜。
それらを箸でつつきながら、世間話に花を咲かせる祖母たちの笑い声。
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彼の写真から、私の物語が溢れ出し、浮かび上がる。
映像から聞こえる、彼の祖父の方言が身体に染み渡っていく。

蘇る記憶と共に、私は自分の中に込み上がる、
「懐かしさ」ともいうべき感情を抑えきれずにいた。
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確かに私はあそこで生き、暮らしていた。
そこには私の物語があったのだ。
あの日見ていたあの景色が、
あの人たちと生きたあの暮らしが、
頭の中に、少しだけ浮かび上がった。
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郷土への想いは、自分の物語に紐付いて形成される。
あの青春の日々が思い起こされる景色を、記憶と共に空間として脳内に保存している。
それらと重なるような情報に出会ったとき、記憶が呼び起こされ、人は自己から溢れ出る郷土愛を感じるのではないか。
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どこかの田舎道も、誰かの物語で重要な役目を果たしている。
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そう思うと、自分の中から込み上げるこの感情を、自然と認められたような気がした。
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#境界 -土地を区別して捉える感情、郷土愛について

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