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どこにむかうの

わたしはどこに向かうんだろう

この厨二病みたいな考えをこの年で捨て切れないでいるあたり致命的だと思う。まあ致命的なのは今に始まった訳ではなくて、ここ数年ずうっとなのだけど、どうやらこの致命的なままで歳をとってゆくような気がしてきたのでせっかくだからこの長い休みの間に文章にしてみようと思いついた。下手なりに誠実に書いてみたい。

気づけばわたしは人が羨ましくて羨ましくてしょうがない。それはもう、子供の頃小学生ぐらいにはそうだった記憶がある。周りのみんなが私よりずっとちゃんと自らの力で立っているように感じる。わたしより自分で選べる、わたしより自分で生み出せる。わたしにはない安定感と自己肯定感を感じる。比べてわたしは日々の生活の中で着実に積み上げていくための土台が何もない。生きていくためのなにか大事なところがからっぽだなぁといつも感じる。

ここまで足元がおぼつかないのは精神的なところが不安定なせいだ。と手当たり次第にメンタルヘルスや心理学に関わる本や文章を湯水のようにじゃぶじゃぶ浴びてみたことがある。今もわたしの家の本棚にはそんな本がたくさんある。

本棚を見渡して特に多く感じるのは「自己肯定感」という言葉たち。きっと縁がない人には一生気に止めることもない言葉なんだろうと思う。正直たくさんの本たちを乱読のように読みあさっていて一冊一冊の内容をしっかり読み進めることはできていないし、当時は心許なさで頭がいっぱいで、そこでとどまることしかできなかった。読みながら自分の今までを振り返り原因探しばかりしていた。思えば原因探しをすることはもっと大事なことから逃げることだったのかもしれない。

定期的に自分の生きづらさの全てを親のせいにしたくなり、母親に度々電話をして自分の生きづらさを泣き喚いた。直接言葉にはしなくても心のどこかでこんなに生きづらい人間になったのはあなたたち親のせいで、だからこんな人間に育ててしまってごめんねって泣きながら謝って欲しいと思っていた。

数年前帰省した際、やっとそのチャンスが巡ってきたように思えたそのとき、母親は子供であるわたしに「子育てに失敗したと思ってる」とこぼした。それはわたしが求めていた謝罪ではなくて、弁解で、認めているんだから、もうそのことはいいじゃないっていう、ひたすらの自己正当化でしかなかった。

一瞬ぼうっと火がついたけれどすぐ消えた。無理だなぁ。ああ、この人とはこれから先もきっとわかり合えないのだとこの時にあきらめたんだった。

父親は働き盛りのその昔自分の感情を自分でコントロールすることができない人だった。父親が怒鳴り出すのはいつもとても小さなことがきっかけで、いつ怒り出すかわからないというのは子供にとってとても不安で恐ろしいことだ。母親は父親への頭の悪い愚痴をいつもわたしにこぼす。虐待されていたわけでは決してないけれど、いつも不満が渦を巻いている家。常に緊張感のある一家団欒の時間、中途半端なピエロになって二人の間を取り持ったりすることにとても疲れていた。

最近になって毒が抜けたようになった父親はもうわたしの前で感情的に怒鳴ったり喚いたりはしない。お父さんはあの時仕事が忙しかったから、少し鬱っぽかったから。後からそんな理由を母親づてに聞いたけれど、わたしが感じた不安も、苛立ちも恐ろしさも、そんなことでは無かったことにならないから。そんな父親に対して今感じるのは「かわいそうな人」という哀れみだけだ。

今でも両親への思いは複雑で、今はそれを言葉にすることすら避けながらだんだんと疎遠になりつつあるのを望んでいるのかも知れない。親との関係は時間と共に変わっていくのだろうと思うけれど、最近のわたしは二人のことを意識して考えないようにしている。

そうやって育ってきた環境や、今まで生きてきた経験で形作られたわたしという土台の上にこれからの自分が積み重なっていくのだろう。この土台は脆すぎてなんにも積み重ならない。だからこのわたしを受け入れることができないと、これから何を経験しても無駄になってしまうのじゃないか。実際そう無駄になっているようにも思えた。ちゃんと積み上げていくには、意識的な作業が必要なんじゃないか。親との関係に関してはまだ自分の中で答えが出ていないし、どうやって付き合っていけばいいのかもわからないままに保留している状態ではあるけれど、親のせいで今が生きづらいのだと思うことはやめた。他人は変わらないのだ。離れて暮らす時間が増えたことで、両親を責める行為を意識してやめるようにした。

わたしの問題として、わたしが一人で心がけられることを考えた。生きづらいけど、ふらつくけど、わたしが今生きていることの承認を他者や酒みたいなものに求めるのはできるだけやめてみようと思った。依存心が強い自分が嫌になっていたのもある。

出逢っていく人々や、家族に求めてしまうとそれはきっと健康的な形ではないのだろうな、と頭ではわかっていて、でも自分の周りに依存しまくっていた。迷惑もかけたと思う。本を読んだり人と話したり試行錯誤を重ねてきて、どうやらみんなが私が想像するような確固たるものがあって悠々と生きている訳じゃないのだということも、なんとなくわかってきた。でも実感はなく、いまだに自分だけ遭難しているような感覚を覚えることもまだまだあるけれど、それでも霧の前が少し明るくなったような、時には一緒に遭難しているような感覚を覚えるようになった。

そして憧れの、自己肯定感。こがれにこがれたけれど、持とうとしても持てないものだから、期待して手に入れようとするのはやめた。持たないままで生きていこうと思った。ただ自分の気持ちよさや好きや嫌いをもう少し大事にしてみた。自分の大きな穴はいまだからっぽで埋まりはしないけれど、人でなければこんどは酒、で埋まる時間を作らないために、ひたすら本を読んだり体を動かしてみた。(酒のことは書くと長くなるのでまたいつか)

なにに向かっても虚しくて気持ちがついていかないと思えたけれど、2時間の映画は見れなくても短歌は読めた。ことばを感覚で味わうことのできる短歌はわたしのの大きな穴の中にちゃんと、存在してくれたし、穴を埋めてくれはしないけれど穴の中で心地よくやさしく響いてくれた。

美術館で好きな絵をみているとき、絵がわたしの鏡のようだった。穴の開いたわたしのことを否定も肯定もせずにそのまま見返したりただそこに在ったりしながら程よい距離感を教えてくれたりした。

何も引っかからないようなつるつるの急勾配の崖にいつしか引っ掛かりが生まれて、フックや籠にすきなものたちが増えた、少しずつぶら下がるようになった。こうしてだんだんと好きなものが増えていった。

あるとき友人に言われた。「マコちゃんは好きなものを見つけるのがうまいから」

最初はよく意味がわからなかったけど、そう言われた時に初めて自分を肯定することを体感としてわかった気がした。好きなものがあるということが、自分の心許ない足元にやわらかいながらも足場として残ったような。

あくまで仮だ、仮だからきっとゆくゆくはしっかりした揺らがない土台がわたしの中に生まれるはずだ、だって大きな穴はわたしの中にまだあって、どうしようもない不安や孤独や焦りがわたしを追い立てるのに、このままのはずがない。漠然と、安寧の日々がいつか来ることを信じて疑わずにいた。

それが、

どうやらここ一年ぐらいでまた変わってきた。ドレスコーズ志磨遼平さんという人と音楽にであったから。

今ここで好きな人の話をするのはわたしはとても好きなのだけど、どのように書いたらいいのか難しいと思いながら書いている。それと好きなものを話す時にどのような言葉を使えばいいのか、果てしなく壮大なもののため恐れ多くて慎重になってしまうけれど、書き表せられないことは承知の上で、しかしこの後の文章に続くには必要だからチャレンジしてみようと思うのです。わたしの好きな表現をする人のことだから、ちょっと熱くなりすぎてしまうかもしれない。

ドレスコーズの志磨遼平さんという人はミュージシャンだ。以前はバンドという形で、今は1人で、アルバムやライブをするたびにその時のコンセプトに沿ったミュージシャンを迎えて活動している。最初は書くことば、作る音楽、ステージでのパフォーマンスや少し変わった歌声に惹かれていたのだけれど、知れば知るほどジャンルも垣根のないアーティストであって知れば知るほど広がっていく裾野が音楽からどんどん離れたところにまでわたしを連れてゆく。連れていってもらうままに、映画や音楽や本に出会わせてもらい辛いときに何度も助けてもらった。最初は天才なんだと思った。いや今もものすごい天才なんだと思っている。何かを形にすることがうまい人だ、という同業者の方のインタビューも見て、きっと器用な人のようにも思う。容姿にも恵まれているし、運もいいのかもしれない。

でも彼のラジオやインタビューや書く言葉や歌詞にたくさん触れていくうちにだんだんと感じ取れたことは、言葉を選ばずに書けば自分に対してものすごいコンプレックスを持って、自分じゃないものになろう、ここではない何処かに行こうとしてきた人だということで、表現者として覚悟を決め、とても努力してきた人なんだということだった。膨大な知識を持って音楽をしっかり言葉に出来る人で、自らの作った音楽をどのように意図してどのように演奏してるのかもびっくりするぐらいあけすけに話し、自分の中にある葛藤すらも作品に昇華していく。

きっとそれはとても孤独な作業にも思えたけれど、志磨さんにはその覚悟が在るように思えて、覚悟に至った葛藤すら表現にしてしまう人間臭さも含めて、わたしの中にある穴にとても魅力的に響いた。わたしのやりたい表現のようなものに少し近い気がした。

わたしの穴は今もまだしっかりあるし、足場もぐらついている。でも今は倒れても立ち上がれるぐらいまで自分をみてやってもいいような気がする。穴に風を吹き込んで音を鳴らしたり、穴に花を飾ったり、穴のままみんなにお見せするのもいいかもしれない。

好きなものをやる。と決めることができた。

それだけでこの休みの大きな収穫だ。

この文章を書くときにふとフランソワーズサガン  という作家の言葉を思い出した。

「頭が良くて失望しているよりは、バカで感激しているほうが好ましいと思いますね」

もっと若いときにとても共感した好きなことば。サガンのような人のことわたしきっとすき。でもわたしは才能がないから、きっとバカでいられないから。

考えて考えてとても大真面目にバカをやってみようと決めた。

まだまだ自分にも周りにも感激してゆけるとおもうから。愛するものがたくさん在るこの世で、わたしの穴は誰かと共鳴出来る日を待ってる。






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