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かたまるけど、また伸ばしてみるのだ。

ああ身体が固まっている。

身体を魅力的にみせる、それが仕事のストリッパーなのに。でもノンストップで本が読みたいし大好きなミュージシャンの音楽を聴くときは身体を動かすよりも歌詞を読んだり音の隅々を味わうこともしたいし、彼がなにを考えているのか知りたいし考えたい。

常に頭が忙しい、のは多分いいことなのだけど、ストリップ の仕事が無い今、日々頭の作業の割合が膨らみすぎてはいかんと慌てて始めてようやく体を動かす次第です。

わたしは決してダンサーでは無いし、これからもきっとダンサーにはなれない。それは前から薄々わかっていたことだけど言葉に出すのが怖かったことで。でもわかってしまった。知らない音楽を映画を本を詩を読みたい気持ちが自由に踊れるようになりたい気持ちよりずいぶんまさってしまっている。

そんな言い訳を並べながら同時に

ええ、でもわたしはストリッパーでストリップ が大好きでまだストリップ やめたくないしもっと体を日々修練して、身体のことに隅々まで敏感になって、筋肉を全部わかって、端正なスタイルで優雅に自由に舞い踊りたい。そして息をのむようなステージがしたい。

とおもうこともまだ実はある(!)

そうとはいえどもこの自粛期間は自分の夢みがち厨二病体質を見つめるよい機会になったようでした。イチローのドキュメンタリーを見て刺激を受けたりしている今日だ。刺激だけを受けたような気になって何もしなくても刻々と時間は過ぎていく。ただ夢を、まだ見ようとしてる馬鹿さも捨てきれずに持っている。

いい年かもしれない。いやいい年だ。大金は稼げないだろうけど、この人生もしかしたら何にも大した事は為せないかもしれないけれど、もう何かになろうとするのをやめようと思った。

いくつになっても、絵を書いたり、自由に踊ったり、言葉を作ったり、自分から生まれてくる表現を拾ってにやにや生きていく、という気持ちを抑える理由を探していた気がする。子供の時にしてた事を大人になってもやっても良いの?良いのかな、いっか。いいときめた。

いやいや、大人は妥協を覚えること足るを知ること、自分を知って諦めることが大事、かもしれないけれども。

でもわたしにはそれができない。わたしけっこう馬鹿なのかも。

好きなこと全部やろう。

そんな生き方してるおばさんおばあさんがいてもいいような気になってしまって、そんなことをおもって日々毎日を過ごしているストリッパーおばさんであります。

まだね、でも踊りもやっぱりやりたいんだ。もっと自由に踊りたい。

あれ、最初に戻った。 時間も体力もお金も限りがあって、その中でどれか一つを極めることのできないわたしはものすごい中途半端に人生を終えるかもしれないな。でもいまはそうやって進んでいくことしかできないから。

読んで観て踊って逢って舞って愛して食って寝て書いて描いて歌って歩いてもうすごく楽しいです。

そんな自分が大好きで幸せって言える日もいつかくるかな。

葵マコ





読んでくださってありがとうございます。 葵マコは本業がストリッパーです。 このnoteでいただいたサポートはDX東寺劇場さんの設備修繕費に充てさせていただきます。 この世界がまだまだ続きますように。