リッチモンドの万華鏡
4年ほど前、旅行で滞在していたロンドンから、南西部のリッチモンドへ出掛けた。
どんよりと分厚い雲に覆われているイメージの強い国だが、この日は見渡す限りの青空が広がっていた。
都心から電車で40分程走ると、緑豊かな街に着いた。
中心部にはおしゃれなカフェや雑貨屋が立ち並び、高級住宅がゆったりと続く街並み。
テムズ河の方へ歩くと、なだらかな丘で牛たちがのんびりと草を食んでいた。なんとものどかな光景だ。
ロンドンでバカンスを過ごしている私の恩師と、その御友人が連れて行ってくれた街、リッチモンド。
そこには、観光客も地元のひともゆとりある時間を贅沢に過ごしているような、明るい静けさがあった。
旅人らしくそこら中の風景をカメラにおさめ、ピーターシャム・ナーサリーズでうっとりと紅茶を飲んだ。
ロンドンに戻る前にもうひと歩きしたくて、みんなで散歩に出た。
テムズ河のほとりに着くと、そこには驚くような光景が広がっていた。
沢山のひとたちが、川べりに佇んでいた。
若者や家族連れ、手を繋いだカップルやお年寄り。
彼らは気ままに散策したり、草の上に座りこみ川を眺めながらお喋りをしていた。
皆、手にグラスを持ち、めいめいの好きなお酒を楽しんでいた。
お菓子を食べて、笑いあう子供達。
川の近くのパブやカフェにもひとが溢れ、食器の立てる音と明るい音楽が店の外まで聞こえてくる。
サマータイムの街はまだ充分に日差しがあり、ほんの少しオレンジ色に変わり始めた陽光が皆の顔をいっそう輝かせていた。
「いつもこんなに、人が多いんですか?」
ロンドン在住の日本人である、恩師の御友人にたずねた。
「うん。でも、今日は特に多いね。」
「みんな、会社は?」
驚いて訊く私に、彼は事もなげに答えた。
「仕事なんて早引けしてここに来るの。会社も、もう閉めちゃう。」
理由が分からずまだ怪訝な顔をしている私に、彼は言った。
「だって、こんなに良いお天気だからね。」
大きな茶色い犬が、2人の小さな男の子と戯れていた。
彼らははしゃぎながら、とうとう川の中に入り、わあっと楽しげな声を上げた。
跳ね回る2人と1匹が上げる水飛沫は、夕陽を映してそこら中で輝いていた。まるで万華鏡みたいだ。
犬の毛並みが、黄金色に光る。
彼らを見守る大人たちは、家族も知らないひとも顔を見合わせて微笑んでいた。
それは夢の中のような、光に溢れた夕刻であった。
その時私が初めて体感した、強烈な感覚。
私たちは、人生を楽しんで、いい。
空が美しければ、川辺へ夕陽を見に行けばいい。
好きなひとと好きなだけ、グラスを合わせて語り合えばいい。
私たちは、人生を楽しんでいいんだ。
「そんなに感動するのはね、あなたが旅行者だから。」
彼は、きっぱりと言った。
「あなたにとって非日常。だから心を動かされるだけ。私たちにとってはこんなの、ただの日常。」
その横顔を、私はほとんど惚れ惚れと見つめた。
母国である日本に住むのは息苦しい、この国では自由に息ができると、彼は話していた。艶やかな手つき、どんな貴婦人よりもたおやかな口調で。
彼の中には、気高く強靭な自由が見えた。
人生を楽しむなどという甘い空想の虚しさを知っている、美しい横顔。
「そうですね。こんな日常で感動できる、旅行者って良いでしょ?」
私の言葉にちょっと驚いた顔をした彼は、呆れてため息をついた後、笑って小さく頷いた。
自分にとっての豊かさが何か、私はまだ知らない。
言ってみれば、私の豊かさとは、知らないことである。
なんだか哲学的だけど、ばかみたいにシンプルなことだ。
私を満たす豊かさを探して、世界中を歩いて回ろう。
その旅路で見つける幾つもの万華鏡が、私のリュックの中で小さな光を放つのだ。
なんでもない、ごくありきたりな毎日のひとときに、ふと、私はこの日のことを思い出す。
歩き過ぎて疲れた足、ぼろぼろのガイドブック。
暮れない夏空、カフェから聞こえてくる音楽、犬のしっぽ。オレンジ色に輝くみんなの顔。
シニカルな横顔に微笑みかけ、無知な私は胸を張る。
人生は楽しい。誰が何と言おうと。