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セレナーデが聴こえるまえに
乗り物酔いばかりしていたから、車にもバスにも乗りたくない。
そんな子供だった私に、両親がこう教えてくれた。
「乗り物に乗ったら、窓の外の景色を眺めると良いよ」
遠くを見れば目が回らないし、気が紛れるから、それは乗り物酔い防止の効果抜群の方法だった。
それからというもの、私はいつも乗り物に乗るなり窓にはりつくようになった。
遠足へ行くバスの車内でも、級友たちがお菓子を交換しあったり、ゲームをして歓声をあげる中で、私は彼らと反対方向へ顔を向けていた。
だって見たことのない風景が、目の前をどんどん流れていく。
騒々しいバスの車中よりも、ずっと面白かった。
窓の外には、どこまでもどこまでも、広がっている。
なにが? 世界が。
それから時が経って、私はまたしても窓の外を眺める日々を過ごすことになった。
当時の宝塚音楽学校は、上下関係や規律がとても厳しかった。
一年目の予科生は、自由気ままに出かけてのんびりとした時間を過ごすことはできない環境だった。
朝早くから受け持ちの場所を、それは丁寧に掃除をする。
私のお掃除場所であった日舞教室には大きな窓があったが、外を眺めることはできなかった。
「窓の外を見る」行為は禁じられていたから、お掃除中に上級生がやって来て見つかれば、激しく叱責されてしまうのだ。
声楽の授業中、先生のピアノに合わせて、みんなで歌う。
目の前に広げたコンコーネの楽譜からこっそりと目線をはずし、私は窓の外を見ていた。
武庫川の川面は天の青を映してきらめき、観光客や自転車に乗った人たちが、宝塚大橋を楽しげに行き交っていた。
新しい世界が、窓の外に広がっている。
この窓を磨く掃除当番を、私は心底羨ましく思った。
私は、窓を磨く人でありたい。
どんなに古びた窓硝子でもぴかぴかにしておけば、まるで澄んだ瞳のように鮮やかな景色を見せてくれる。
「目は、心の窓だ」と、とある漫画の登場人物も熱く語っていた。
愛しい人を思って歌うセレナーデだって、窓下から聴こえるではないか。
いくらか調子外れで、たとえようもなく優しい歌声。
でも歌い手が見つめる窓硝子が薄汚れていたら、熱い恋もたちまち冷めちゃうに違いない。
透き通った窓のそばに立てば、いつでもそれを開けることができる。
自分の心の内側を、外の世界へ解き放ってみたい時。
この小さな頭では思いつかない考えに触れ、私には決してない輝きをもつ人と、心通わせたいと思う時。
すぐそこで鳴いている小鳥、その姿を一目、見てみたくなった時。
誰かの空に降りしきる雨に気が付いて、この窓辺で雨宿りしてもらおうと思った時。
「おーい、こっちへおいでよ」と、元気な声が聞こえた時。
時にはばんっと大きな音を立てて、窓硝子に泥だらけの手形を付けられることもある。
枯れ葉や砂埃がこびりつき、サッシの隙間で蛾が息絶える日も。
それでも分厚いカーテンを開け放ち、この小さな窓を磨き続けよう。
ある日、新しい風に運ばれて、見たこともない植物の綿毛が、私の窓辺に舞い降りるのだ。
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