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マゴムスメ・ライブラリー 7


 人生は編み物のようだ。
 一日編んでも二日編んでも、なかなか形にならなくて、本当に何かが出来上がるのかと思う日が続く。
 少しでもいい加減に編み進めると、ぽかりと穴が開いてしまったり。
 それでも根気強く手を動かし続けたある日、連なる編み目が少しだけ、でも確実に広がっていることに気がつく。
 人生は、編み物と似ている。
 人生のことも編み物についてもよく知らないくせに、なんとなくかっこいいことを言ってみる。

具体的すぎると、見つからない

 3年ほど前、私は祖母に贈るマフラーを探していた。
 私の頭の中には、これしかない!というマフラーが浮かんでいた。
 それは明るいピンク色と瑞々しい緑の濃淡で、少しの褐色(あたたかい空気をたっぷりと含んだ柔らかい土の色。春の大地の色でなくてはならない。)が散りばめられたマフラーだ。
 どこのお店にも、そんなおかしなデザインのマフラーはなかった。
 ないから、自分で作るしかなかった。
 ちっとも上手ではないけれど、私は一応、編み物ができる。

 宝塚音楽学校では、予科生(入学1年目の生徒)が、同じお掃除場所を担当する本科生(上級生)に手編みのマフラーをプレゼントする習慣があった。
 憧れの本科生のために、みんなうきうきと編み棒を動かしたものだった。
 本科生となった時に貰った予科生のお手製マフラーは、前年に私が作った物よりずっと上手で、健気な真心が込もっていた。
 ちょっぴりくすぐったい、あのマフラーのあたたかな着け心地は忘れられない。


本領発揮して、もけもけマフラー

 94歳になる祖母が生まれ育った北の街は、冬になると大雪が降る。
 「ばあば。昔はみんなお着物で、足袋に草履って、寒かったでしょ?」
 「そう。でも、冬はそういうものだと思っていたから。それに、雪の中を歩けるように色んな工夫をしてたのよ。」
 裏地のついた足袋。草履に付ける雪よけ。
 薄くて軽いダウンコートやあったかブーツはなかったけれど、暮らしの知恵が厳しい冬を彩っていた。
 寒さは大嫌いなくせに、祖母の語る生活に少しだけ憧れを抱く。
 真っ白な息の向こうに、潔くて清々しい景色が見られるような気がするのだ。

 その冬、私は手編みのマフラーを祖母にプレゼントした。
 春の大地に咲く花と若緑の芽吹きの色。
 寒い日にも、春を思い出してもらえるように。
 そんな願いのこもった不格好なマフラーを、祖母はにこにこ顔で受け取ってくれた。
 涙もろくて、感動屋さんの祖母にしてはシンプルな反応だったけれど、その理由は後でわかった。
 祖母は、それを市販のマフラーだと思い込んでいたのだ。
 私の手編み技術が素晴らしかったというわけではない。
 己がいかに不器用で面倒くさがりなイメージを持たれているか、思い知ることとなってしまった。
 “あの孫が、まさか編み物をするなんて!!”


どこにしまったか、忘れてない?

「あのマフラーは祖母をあたため、今年も大活躍している。」と結びたいところだが、「首に巻くとチクチクする。」という致命的な欠点が明らかになったため、とっくに使用不可能となった。(それで私は、毛糸の質に拘るということを学んだ。)
 使えないチクチクマフラーを、祖母はとても大切にしまってくれている。
 
 
 見目麗しく機能的なマフラーを買うのが、一番良い。
 実際、私が愛用しているマフラーはどれも市販のものだ。
 それなのに祖母へのプレゼントに限り、不得意な編み物にせっせと手間暇かけてしまったのは何故だろう。
 ちくちくするのはいただけないが、ぽこっと開いた毛糸の穴は、ばあばをクスリと笑わせる。
 編み目のデコボコに、孫娘の健闘を見つけてくれるだろう。

 完全に自己満足のためだけど、また祖母にマフラーを編みたい。
 手仕事の遅い私だから、出来上がる頃にはもう春だろう。
 下手くそな編み目でも、ひとつひとつ重ねてゆけばマフラーになる。
 一日一日をつなぎあわせて、私と祖母は遠い春を目指す。






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早花まこ
読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!