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マゴムスメ・ライブラリー 13

 東京公演中や宝塚市に来てくれた時、母は毎日、おにぎりを作ってくれた。
 しゃけ、たらこ、じゃこまぶし。
 日替わりの具が楽しみで、お稽古の日も公演の日も、わくわくとハンカチ包みを開けた。
 宝塚歌劇団の食堂のおにぎりも、美味しかった。
 厨房の方達は朝早くからごはんを作り、どんなに忙しくても目と目を合わせて食事を手渡してくれた。
 「この食堂のおにぎりが美味しいのは、作っている人たちの優しさが入ってるからだ。絶対にそうだ」と、みんなで真剣に言い合ったことがあるくらいだ。
 あの食堂の方々は確かに、出演者と同じように宝塚歌劇を作り、担っていると思う。
 母のおにぎりも食堂のおにぎりも、特別豪華な具材がお洒落に飾られているわけではない。
 食べやすい味とシンプルな形なのに、どうして!? というほど美味しいのだ。


 今から遡ること、75年前。
 祖父と結婚して東京へやって来た祖母は、街で見かけるおにぎりに、たいそう驚いたそうだ。
 「どれも、きれーいな三角形なのよ。そんなの、どうやって作るのか、分からなかったわ」
 96歳になる私の祖母は、まるで嫁ぎたての頃にタイムスリップしたかのような高い声をあげた。
 子供の頃から祖母が食べていたのは、まんまるい形のおにぎりだったのだ。

 祖母の故郷である東北の街は米所ということもあり、戦時中でも少しのお米を食べることができたという。
 今では当たり前に食卓に並ぶ、お茶碗一杯の白いご飯が贅沢品だった。
 どれだけ想像力を働かせても、真実、その時代を生きた人でないと実感できない日々だろう。
 丸く握られたごはんの中身は、梅干しひとつ。
 両側からばん!と海苔を巻いた。
 塩の効いた美味しそうなおにぎりが思い浮かんで、思わずごくりと喉が鳴ったが、
「海苔があれば崩れにくいし、梅干しを入れれば殺菌。それが何より大事なことだったからね」
 ラップやアルミホイルはなかったし、今のように「ずっと冷たい冷蔵庫にポン」、なんてできなかったのよ。
 そう言って祖母は、それが恥ずかしいことのように笑った。

 祖母の言う通り、当時の東京では三角形のおにぎりが主流だったのかは、定かではない。
 だが少なくとも、祖母が東京で目にしたおにぎりはことごとく綺麗な三角形をしていて、「私には作れない」と諦めたそうだ。
 若かりし祖母が握ってくれたまんまるおにぎりを見て、祖父は一体どんな思いを抱いたのだろうか。
 分かっていることは、祖母のおにぎりがとても美味しかったということだ。
「ばあば、そういえば、お母さんのおにぎりもまんまるだよ」
 幼い頃から食べていたおにぎりの形に疑問をもつことなどなかったが、三角おにぎりを食べる友達の横で、私はいつも丸い形のおにぎりにかぶりついていた。
 きっと、祖母の作ったおにぎりが大好きだった母は、味と一緒にまんまるスタイルをもそのまま受け継いだのだろう。
 そして、小さな俵の形に握って、真ん中に細い海苔をつける「俵のおにぎり」という母のオリジナル版おにぎりも生まれている。

 
 宝塚を卒業して、東京で暮らすようになり、「私はおにぎりを握ったことがない」と気が付いた。
 これはいけない。
 家族でも、友人でも、食堂にやってくるはらぺこの客人でも良い。
 祖母、そして母からもらったまんまるおにぎりを、今度は私が誰かに手渡す番だ。




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