マゴムスメ・ライブラリー 2
先日、無事に94歳の誕生日を迎えた祖母は、私に対してすこぶる優しい。
幼い頃から、祖母に叱られた記憶は無い。
もっとも、父方母方の両祖父母ともそのような調子だったので、ザ・目の中に入れても痛くない孫として四方から可愛がられる、とても幸せな孫ライフを送らせてもらった。
そんな祖母が、若かった私に唯一言い聞かせたことがある。 「靴は、綺麗にするのよ。新しくなくても良いから、ちゃんと手入れをしないと。」
つま先がすり減り踵に傷のある私の靴を見下ろして、祖母は言った。 「靴には、そのひとが出るからね。」
その靴は可愛らしい、流行のデザインのものだった。
お気に入りの靴なのに、そう言われると急に汚れが目について、私はいたく恥ずかしくなった。
「そのひとが出る」、つまり、持ち主の人となりがあからさまに表れる、ということ。
服もバッグも、何もかもがそうとも言えるだろう。
だが、その時の祖母の言葉には、今すぐに靴磨きをしたくなるような説得力があったのだ。
宝塚歌劇団の生徒の中で、私はとても身長が低かった。
綺麗なロングドレスを着てもバランスが悪く、それが嫌でいつも高いヒールの靴を履いていた。
舞台の靴に慣れるために、普段から履く靴も全てヒールが7cmから9cmの高さのものと決めていた。
一足だけ持っていたぺたんこ靴は、旅行用。
旅に出ると、私はよく歩く。とにかく歩く。
旅行の時にしか履かないぺったんこの靴でも、10日間ほどの海外旅行を2、3度も繰り返せばもうへろへろに酷使される。
それでも私の思考の中では「滅多に使わない、新品同様の靴」という感じだった。
自分で書いていても「なんでだ」と思うのだが、思い込みとは本当に恐ろしいものである。
4年ほど前に、ロンドンを旅した。
いつもと同じ、旅行用のぺたんこ靴で。
街歩きに出た私は、足の感触にうっとりとした。 「おお! これがロンドンの石畳。ヨーロッパの歴史を感じるなあ、、、え?」
靴下で道を歩いているのかと思った。
靴を履いているにしては、足裏が地面を鮮やかにとらえている。
恐る恐る足元に目をやると、確かに靴を履いていた。
ほっとしたのも束の間だ。
もしかしてこの靴底、かなり擦り減ってる?
殆ど使ってない靴(のはず)なのに、何故??
あと三歩くらい歩いたら、靴底が完全に無くなるかもしれない。
そんな恐怖に、もう一歩も歩けない。
私はビショップスゲート通りで立ち尽くし、粋なロンドンっ子たちの怪訝な視線を全身に浴びた。
「ねえ。ばあばは、どうして靴を大事にするようになったの?」
「うん。母が、いつも父親の靴を磨いてね、お玄関に揃えていたから。それを毎日見てたのよ。だからね。」
「ばあばのお母さん、毎朝お父さんの靴を綺麗にしてたの?」
「そう。毎朝。」
東京の家で一緒に生活している時、出かけようとすると、祖母が玄関へ見送りに来てくれる。
「ばあば! 今日の靴、どれにしよう。」
そうたずねると、祖母は私の全身をしばし眺める。
帽子、服、バッグに目をやってから、そろそろと靴箱を開ける。
玄関の靴箱の中には、私の靴が沢山並んでいる。
ほんの少し首を傾げながら、祖母は選んだ一足をたたきにそうっと置いてくれる。
私が履きたいと思った靴であることもあれば、予想外な靴であることもある。
でも、祖母の靴チョイスはなかなかハイセンスなのだ。
その服には合わないと思っていた靴でも、履いてみると全体のバランスが良くなる。華やかになったり引き締まったり。
だから私は祖母の靴コーデを絶対的に信頼していて、自分で選び直すことはない。
「本日のお洒落」の最後の仕上げ、私の靴選びは祖母の役目だ。
舞台をおりた今でも自分の低い身長を好きになれない私は、相変わらずハイヒールの靴を履く。
そしてつい歩きすぎて、華奢なヒールをボロボロにしてしまう。
女の子を背伸びさせてくれる可憐な靴も大好きだけど、これからは、とことん歩けるぺたんこ靴も履くことにしよう。
靴の種類が増えれば、歩ける道も増える。
色んな靴を履いて、色んな道を歩こう。
私にふさわしい靴をそうっと選んでくれる祖母がいるから、安心だ。
きっと祖父も、毎朝そうしてもらっていたように。何の不安もなくその靴を履いて、私は駆け出すのだ。
昔はお着物姿で出かけることも多かった祖母。
いつも靴を磨くように、草履もお手入れしていたのだろうか。 「ばあば、草履も毎日磨いてた?」
「、、、草履は、、、磨かない。」
「なんで。」
「ダメになったら、捨てるし。」
祖母の中で、理不尽なほどに低い、草履の地位。
日常的にお着物を着ていた世代のひとにとっては、靴の方がかっこいい感じがしたのだろうか。
「草履、かわいそうじゃん!」
「草履は、、、あんまり傷がつかないから、いいの。」 「なんで、傷がつかないの。」
「草履はヒールが低いから。」
草履の、ヒール!!!