夜の彼方に散る音をかきあつめる
なかなか寝付けない夜。
この心身が眠ろうとしないのには、きっと理由がある。
涼しい風に当たりたいのか、月光が眩しすぎるのか、もっと夜の底で泳いでいたいのか。
それでも早く眠りたい時はあるから、そういう時には耳を澄ませる。
それが私の安眠法だ。
小学校3年生の時からたびたび、乗馬キャンプへ行っていた。
牧場で馬に乗り、友達を作るのが楽しくて仕方なかった。
ただひとつ恐ろしかったのは、消灯時間になっても眠れないことだった。
はしゃぎ回っていた子供たちも、部屋の電灯が消されてしばらくすると安らかな寝息を立て始める。
そんな中、私だけはいつまで経っても眠れなかった。
遊びまわって体はくたくたに疲れているはずなのに、どうしてなのかと不安になってくる。
22時を「とんでもない真夜中」と感じていた頃だ。
焦れば焦るほど眠りの扉は遠のき、「このままずっと眠れなかったら、どうなっちゃうんだろう」と、心細さに押しつぶされそうだった。
さらには「今頃、お父さんとお母さんはうちでぐっすり眠っているだろう」と思い、ますます、寂しさと恐怖がこみ上げた。
大人になると、朝まで友達とだらだらお喋りしていたり、徹夜で何か作業をする経験を経て、夜を恐れることはなくなった。
社会のために、深夜どころか朝まで働く人たちが大勢いることも知った。
それでも時折やってくる寝付けない夜には、ただ耳を澄ませてみる。
そうすると、静寂しかないはずの夜からは実に様々な音が聞こえてくるのだ。
時計の秒針が動く音。風の音。家の近くの草むらで鳴く、虫の声。お向かいの家の窓が閉まる音。
それから、耳はもっと遠くの音をとらえ始める。
やがていつしか、私は深く眠り込んでいる。
この耳は昼も夜も、たくさんの音を聞いている。
有益な情報を得なくては、最新の話題についていかなくては、あいつは孤独だと思われないようにしなくては。
そんな理由で音の洪水を受け止めようとする。
でも少しでも静けさに耳を傾ける時間があれば、大切な音が聞こえてくる。
雑踏の中を歩いても、誰かの声を掬い上げることができる。
私が必死で発していたノイズを拾って、微笑んでくれた人がいたように。
沈黙の彼方を聞くということ。
通りを隔てた踏み切りの音。
隣町の本屋さんの、シャッターが閉まる音。
山をひとつ、ふたつと越えた向こうの街で口ずさんでる、誰かの歌声。
そうして遠くの音が聞こえてくると、気付かずにいた近くの音もまた、この耳に届く。
部屋の隅っこで家を守っている、小さな蜘蛛の足音。
剥がれかけの、冷蔵庫に貼ったメモ。
もっともっと近く、この胸の奥で鳴る鼓動の音。
お腹の中に呑み込んだ、いつかの言葉。