マゴムスメ・ライブラリー 10
この世界で、私だけが知っていること。
そんなことは殆どないけれど、きっといくつかはあるのだ。
「私以外は、誰も知らないこと。」
そうとは気が付かずに、通り過ぎてしまうこともある。
たとえば、祖母がまだ結婚してすぐの頃。
「うちの木戸のそばにね、あけびが植えてあったの。」
祖母が語り始めると、セピア色の写真が鮮やかに色づく。
それは私がよく見知っていた祖父母の家ではなく、建て替えられる前の家のことだ。
私の記憶の中にあるお家に、祖母が語ってくれる昔の家の面影がゆっくり重なっていく。
若い夫婦と幼い子供の活力に満ちた、飾り気のない平屋だ。
玄関を入ってすぐの和室は、まだ幼かった母の部屋。
居間はよく陽が入り、静かだった。
お庭へ続く小道の横には、緑豊かな垣根があった。
その垣根が途切れた先、木戸のところだ、あけびが植えてあったのは。
垣根とお庭の緑に比べて、そのあけびは見るからに弱々しい様子だった。
それでも枯れることなく、上へ上へとか細い蔓を伸ばしていた。
ある日、ふと見上げた先にあけびの果実がなっているのを見つけて、祖母は驚きの声を上げた。
よくよく見ると、祖母が子供の頃に故郷の山で見たあけびとはだいぶ違っていた。
山中で太い蔓にぶら下がっていた、まるまるとした紫紺の実と比べると、うちのそれはあまりに小さかった。
色だって、水に溶けて消える寸前のように淡い。
「じいじも驚いて、『きっと酸っぱいよ。これはちょっと、食べられないぞー。』って、笑ってたわ。」
祖母は思い出し笑いをしながら、祖父ののんびりとした口調を真似る。
祖母と一緒に木戸の上を眺めていた祖父は、もうここにいない。
母は、まだ赤ちゃんだった。
だから、うちのあけびを知っているのはもう、ばあば一人だけだ。
65年以上もの時を経て、そのあけびを知るのは二人になった。
母親になったばかりの祖母が見上げた、都会育ちのあけびの実。
木戸の上で踏ん張っていた、そのうすむらさき色を、精一杯伸ばした脆弱な蔓を、今は私も祖母の目を通して眺めている。
ああ、そうだ。
あけびのこと、今では四人が知っている。
私が、父と母にも話したからね。
「私だけが知っていること」が「私たちが知っていること」になる。
思い出を語ればまたひとつ、失われるはずの光景が色を取り戻す。
結局、祖父と祖母はあけびの実を食べたのだろうか。
またひとつ、ばあばに思い出してもらわなくてはいけないことが増えてしまった。