夜明けベーカリー
私はパンを焼いたことがない。
いや、正確に言うと、一度だけある。
小学校の授業で保護者と一緒に、バターロールを作った。
力一杯こねた生地をくるりと巻いて、艶出しのために卵黄を塗って。
調理室のオーブンから出てきたパンは、お店に並ぶバターロールより少し小さくて固そうで、そしてとてつもなく美味しかった。
「自宅で手作りパンを焼く」という人に出会うと、私は漠然とした憧れを抱く。
パンを作って食べる作業と時間を楽しむ人は、なんだか「日々の暮らしを自らの手で構築している」という感じがして、素敵だと思うからだ。
やることに追われるか、テレビを見ながらお菓子を食べるかしている私の生活からは、言うまでもなく程遠い。
パン作りは簡単じゃない。
いくつもの難しい工程をうまくやるのは時間がかかるし、技術だって必要だ。
だんだん「もっと工夫したい」と熱中してしまうというのも、頷ける。
「丁寧な暮らしなんかじゃないよ。食費の節約になるから」などとサバッと言い切る人だって、しっかりと美味しいパンを焼き上げるのだから、やっぱり憧れる。
高校生の頃、学校の図書室でたくさんの本を借りて読んでいた。
その中に、大好きだった海外小説がある。
タイトルは忘れてしまったけれど、それは、こんなお話だった
『天へ旅立った幼い息子を思って悲嘆に暮れる夫婦が、注文していた息子のバースデイケーキをキャンセルするため、深夜にパン屋さんを訪れる。
翌朝の開店準備をしていた無口なお店の主人は、慟哭する夫婦に、焼き立てのパンを差し出した。
その香りと美味しさに思わず夢中になって、2人は次々に焼き上がるパンを食べ続ける。(彼らは、息子の旅立ちから何日もの間、ほとんど食事をしていなかったのだ)
お腹がいっぱいになった頃、夫婦はいつのまにか涙が乾いていること、夜が明けていることに気がついた。』
この本を読んで以来、パンには人を生かす力があると思うようになった。
お腹が満たされると、生き物はちょっぴり幸せになる。
パンだけじゃない、人が誰かを思って作る食べ物すべてに、小さな優しい光が宿っている。
このお話に出会った頃の私は、「テーブルについて焼き立てのパンを食べようとする人」だった。
すっかり大人になって、子どもの頃とは違う気持ちが湧き上がるようになった。
いつか、誰かにパンを差し出せる人になりたい、と。
なんて格好つけてみたものの、不器用で料理下手な私がパン作りに挑戦できる日は来るのだろうか。
なかなか手の届かない「仕事」なだけに、私は手作りパンに憧れ続けているというわけだ。
「パンを焼いたよ」
その言葉を聞くたび、私の心に広がる風景がある。
それは実際には見たこともない、真夜中の工房だ。
明日にはきっと、生きる力をほんの少し取り戻すはずだから。
夜明けのパン屋さんで、私は熱々のパンを焼く。