マゴムスメ・ライブラリー 8
小学生の頃、私はよく新聞記事を切り抜いていた。
学校の授業で教材として使うことが多かったからだ。
興味のある新聞記事を見つけて、自分の感想を書く。
私はその課題が好きで、よく分かりもしない社説なんかを切り抜いては偉そうな意見を書いていた。
授業がなくなるとすぐに新聞から遠のいてしまったのだから、いかに「新聞を読む」ポーズだったかがよく分かる。
そんな私と反対に、祖母は毎日、新聞を読む。
小さな字は読めなくなった、難しい記事はもうわからない。そう言いながらも時間をかけて、広い紙面に目を通していく。
94歳の祖母が好きな記事は、読者が様々な話題について投稿する欄だ。
身近なニュースやいきいきとした日常が、文面から伝わってくる。
「私はもう年寄りだからね、こういう記事が読みやすいのよ。」
素朴な文体で綴られた楽しい投稿コーナーを見て「なるほど」と思っていると、「もうひとつ、よく読むのはこれ。」と祖母が紙面を差し出す。
それは、歴史を解説した漫画のページであった。
「え!? ばあば、漫画なんて読むんだ!」
「漫画というか、歴史だから読むわよ。」
「ほう……。」
漫画ではなく、歴史の記事として受け入れているんだね。
予想以上に幅広いジャンルを読んでいる祖母のキャパに驚きつつ、聞いてみた。
「ばあばは、昔から新聞を読んでるの?」
祖母が若かった頃、どこの家でも必ずといって良いほど新聞をとっていた。
昔はラジオと新聞が、生活の中の主な情報源だったのだ。戦争が激しさを増すまでは。
「戦争中はね、『本当のこと』を書いたり、みんなに知らせるのが、とても難しかったの。だから……あんまり新聞も読めなくなったのよ。」
終戦後、祖母の記憶には再び新聞が登場する。
桜の開花宣言。国民的歌手のコンサート。風刺のきいた4コマ漫画。
「連載小説も、毎日楽しみだったわ。」
そんな記事でいっぱいの新聞が再び家庭に配られるようになったのは、平和が戻った証だったのかもしれない。
今では当たり前の話題は、当時、祖母の心をどれほど和ませただろう。
「そうね。子供の時から、新聞を読むのは当たり前だったからね。」
さらに時を遡り、祖母は記憶の中の新聞を広げる。
幼い頃、祖母は沢山の兄弟とともに雪国で暮らしていた。
「兄弟のうち、いつも誰かがお当番になって、外の郵便受けに新聞を取りに行くの。」
「うん。偉いね。」
「朝、新聞を取りに行くとね、たまに下駄とか靴がなくなっていて、あれー?って言ってたわ。」
「うん。うん。へ、ええっ!?」
どうやら、玄関の鍵をしめずに寝ていたので、夜中に履き物が盗まれていたというのだ。
本当に、そんなことあったの!?
「だって、誰が一番最後に家に帰って来たか、分からないでしょ。だから誰も鍵をしめなかったのね。」
「いや、分かるでしょ……いくら、家族が多くても。」
それもそう。ずいぶん、のんびりしてたわねえ。
私の困惑をよそに、祖母は可笑しそうに笑った。
小さな祖母も、こんなふうに笑っていたのだろう。
朝に夕に響き渡る、お兄ちゃんや妹たちの賑やかな声。
やがて、今日の新聞お当番が駆け出す合図が聞こえるのだ。
新聞でーす。かたん。