RIDEAU 2022
ひときわ強い風が吹き抜けた時、ちろん、ちろん、と音が鳴った。
なんの音か、すぐには分からず、私は階段の途中で足を止めた。
今年もあと2日となった真昼、地下鉄の駅は人もまばらだった。
改札口を通り抜けて地上へ向かう階段では、私以外の足音は聞こえない。
聴き慣れない音に気がついて立ち止まると、街なかの駅とは思えないほどの静寂があって、それは奇妙にも思える瞬間だった。
ちろん、とまた音が鳴り、私は通路の天井へ眼を向けた。
鈍く光る、小さな蛍光灯の端からぶら下がっている短い紐が、風に揺れていた。
地上から吹き込む冬の風は、蛍光灯の曇った白いカバーに紐の先端をぶつけている。
ちろん、ちろん。
それは、いつもの喧騒に包まれた駅の通路では、決して気がつかない音だ。
特別に美しい音色でもないその音を、なぜかずっと聴いていたいような気持ちになって、私はしばらく無人の通路に突っ立っていた。
大掃除をおろそかにして出かけて行ったのは、来年の2月に出演させていただく朗読劇のお稽古のためだった。
お稽古が終わって一息ついた時、ピアニストの青年が語った。
最近は「人と出会うこと」、「ご縁」というものの不思議さについて、考えずにはいられないんだ、と。
自分の足で歩んできた道のりでも、振り返ると、実に多くの人が関わっていた。
尊敬する師だけではなく、友人がくれた一言、知人に示された何気ない選択が、今の自分を作っている。
とても若い彼は、言葉を噛み締めるように、出会いの不思議と関わってくれた人たちへの感謝の思いを語っていた。
「こんなの、よくわからない話ですよね」と申し訳なさそうな顔をしたけれど、彼の思いは強烈に伝わってきた。
「すごく大切なことなのに、なんだろう、うまく言葉にできない」というもどかしさを含めて。
「私は誰の力もかりない」などと、無理に決まっている生意気な思いを振りかざしていた。
そんな若い頃の自分を思い出すとよけいに、この青年の聡明さと純粋さに心を打たれた。
彼よりはずいぶんと出遅れてしまったが、私も今になって「人との出会い」がどれほど大切か、じっくりと感じている。
それは、過ぎていく2022年が多くの方々に支えられ、励まされた1年だったからだ。
拙い、でも一生懸命に書いた文章を読んでくださった皆さま。
私に出会ってくださった皆さま。
遠くから見守ってくれている皆さま。
お一人お一人に、感謝しております。
今年一年、有難うございました。
明るく穏やかな大晦日をお過ごしください。
ピアニストの青年の言葉に心を洗われ、「さあ来年も頑張るぞ」と意気込んで帰宅すると、大掃除の途中で放り出された我が家が待っていた。
素敵なご縁だって、散らかった家にはやって来てくれないだろう。
これから急ピッチでお掃除を進めるしかない。
つまり、いつもと変わらない私の大晦日が過ぎていく。