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曇天の逸話

 
 空に浮かぶ雲をひとつ選んで、じっと見つめて「消えろ」と念じると、その雲を消すことができる。
 そんな話を聞いたことがある。
 だが、私は試したことがない。
 仮にやってみたとして、その雲が消えても、消えなくても。
 「本当に消えた!」「あれ、消えない!」などと空の一点を指差して笑い声をあげられるほど、私は消失を侮れない。

 幼い頃から、雲は不思議な存在だった。
 綿のようにふわふわとして、手を伸ばせば届きそうなのに、掴めない。
 あれはね遥か上空にあるんだよと、大人たちは笑う。
 やがて理科の授業で「積雲」「巻雲」といった名称や成り立ちについて学ぶと、「雲に乗る」などという子供じみた空想もしなくなった。

 それでも私にとって、やはり雲は不可思議なのだ。
 こんなことを言うと「純粋さを装っている」「不思議ちゃん」と言われてしまいそうだが、仕方がない。
 雲が浮かんでいる、気が遠くなるほど広大な空。
 そこには柱もなく、手すりもない。
 どうどうと風に押された雲は、身を任せて流れて行く。
 あれらはどうして、ばふばふ叩いたりぼよよんと捻ったりできない物なのか。
 真夏の入道雲なんて、明らかに頑丈な佇まいで存在している。アスファルトに、あれほど濃い影を落とすのに。 

 「雲を消す」遊びの正体は、積雲の性質を利用しているとか、眼の錯覚だとか、人間の潜在能力のなせる技であるとか、様々な説がある。
 どれが真実でも構わないし、そんなこともあるのだろうと思う。
 ただ少しの気がかりをおぼえるだけだ。
 消えた雲は一体どこへ行くのか、と。

 「空から姿を消した雲は、どこに雨を降らせるのだろう。
 いずこの土地に、切れ間からこぼれ落ちる陽光を注ぐのだろうか。」

 とある昼下がり、眠たげな野良猫が寝そべる道で私は一人立ち止まる。
 頭上に広がる青い空を見上げた時、ぷかりと浮かんだ雲から「消えろ」と告げられてしまったら。
 私はきっとどこへ行けば良いのかわからず、柱や手すりを求めてしがみつくだろう。
 
 
 私はこれからも、雲に向かって「消えろ」と念じることはない。
 雲よ、消えるな。仲間を大勢引き連れて、空を一面覆い尽くして。
 白妙の曇り空。
 その美しさは、青空に決して劣らない。





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早花まこ
読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!