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え!『影響』周りの影響を受けない人などいるのだろうか?! 〜50音note〜

誰しもが、生きている限り、何かしらの周りからの『影響』を受けて生きていると思うのですよ、はい。

そう思いませんか??

少なからず、私の人生は絶対そうだったと、思う。

そして、今の私がいる。

だいぶ昔に戻って考えてみたら、まず思い浮かぶのが、中学1年の春。

小学4年から6年にかけてやっていたジュニアバレー。
本当はすっごく好きだったバレーボール。
しかし、当時まだ身長が低かった私は、同時のコーチから言われた言葉を忘れてはいなかった。

「陽葵は身長が低いから、中学に行ったら通用しないと思う」

今思えば、そんな言葉気にしないでバレー部に入れば良かったと思ってる。

小学生のときはずっとレギュラーだったし、その後、身長も人並みに伸びた。

しかし、その言葉が忘れられず、私はバレー部を選ばなかったのだ。

そして、私のことを可愛がってくれた先輩(交換日記をするくらいの仲)に誘われるがままに吹奏楽部に入部したのだ。

そんなに音楽に才能もなかったのに・・・・。

だから、後々に何度も、あの時バレー部を選んでおけば良かったと何度思ったことか。

でも、まぁ吹奏楽部が嫌だったわけではない。それだけは言っておく。

高校生になってバレー部に入ったのだが、3年のブランクは大きかった。

ついていけなかったし、怪我をして辞めることになったのだ。


高校3年生の時。

進路をもう皆決めている頃だった。
私ももちろん、何となくだけど、決めていた。

世界で活躍したい、運がよければキャビンアテンダントになりたいとか、夢を持っていた。

しかし!!!

私が最終的に選んだ道はそうではなかった。

看護師を目指すと決めたのだ!

全然ちゃんやん!!!と、突っ込まれそうだが、
紛れもなく、それも周りの影響を受けて選んだ道だった。

しかし、この決断は間違っていなかったと、今は思っている。

当時付き合っていた彼が医療従事者を目指していた。そしてその人のお母さんが看護師だった。

そして、何故か私が選択した科目によって構成されたクラスには看護師を目指す友達が大勢いた。

何となく・・・・しか、将来を考えていなかった私は、これでいいのか??と、凄く苦しんでいた。

誰かのためになる仕事ができたら、どんなに素晴らしいんだろうとも思った。

自分の意思を強く持ったクラスメイトが大勢いる中で(それは必ずしも看護師だけではない)、もがき苦しんでいたのだ。

そんな中、ある日、長女の姉が言った言葉があった。

「何ぐずぐず考えてるん?今、やりたいって思ってることに挑戦しないと後で後悔するよ、後からでもいくらでも人生やり直せる、でも今出来ることは限られているんよ」

と。

その言葉に私は後押しされたのだ。

看護師の仕事ってどんなことだろうって調べるうちにどんどんやりたいって気持ちが大きくなっていっていた。

本当は大学に行きたい、いい大学に行って・・・・なんて漠然とした考えしかなかった私に目標を与えてくれた人たちが周りにはいっぱいいたのである。

そして、3年生も中盤に差し掛かろうとしていた頃、私は看護師への道を決断したのだ。

ほとんどの子たちが昔からの夢だったり、親が看護師だから・・とか、そんな理由だったのに、私はちょっと変わっているよね。

急に私立の大学に行くと言っていた私が看護学校に行くというのだから、驚く人も多かった。

看護師の世界が大変なことも分かっていた。それを承知で、私はその道を選んだのだ、周りのみんなの影響を受けて!

しかし、ぜんっぜん間違ってはいなかった。

結局、大学という夢も少し捨てられなくて、短大の看護学科に進んだのだけど。
(当時、まだ4大の看護学部は少なかったし、選択教科が私には足りなかった)

学生時代も勉強や実習は大変だったけど、その夢が揺らぐこともなかった。

そして、私は看護師になったのだ。

最初に就職した大学病院では救命救急センターに配属されたこともあって、体力と気力が持たなくて、1年でやめてしまったが、次に転職した総合病院は外科病棟で、楽しく働くことができた。

やはり、言葉を交わせる患者さんと接するのはいいものだった。

ERのときはほぼ話せない、呼吸器に繋がれているような人が多く、助けられない命も多くて、か弱い?私の心はズタズタだったのだから。

だから、天職とも思った時期もあった。

これは、あの時、あの彼と付き合っていなかったら、あのクラスじゃなかったら、お姉ちゃんにあんな言葉を言われなかったら、なかった私かもしれない。

そう思うと、少し恐ろしいというか、怖いというか、不思議な感覚に襲われるのだ。

人はそうやって、周りの影響を受けて、自分の人生の選択をしているのかもしれない。

でも、必ずしも誰も彼もがそうとは限らないのだろう。

強い自分を持っているほど、影響は少ないのかもしれない。

弱い私だからこそ、影響を受けやすかったのかもしれない。

しかし、現社会においては、人だけでなく、多くの情報を手に入れられる時代。

その影響を受けるというのも人だけとは限らなくなっているのだろうと、思う。

ネットやSNS、いつでもどこでもどんな情報でも手に入れられる時代。

それに影響されない人などいるのだろうか。

TVでかの有名人がこれはいいですよ!と言えば、次の日にはそれが飛ぶように売れる時代なのだから、面白いものである。

迷惑なこともあるけど。

最近なら、ティッシュペーパーやマスクが手に入らない状況に陥ったのは記憶に新しいだろう。

所謂、買い占めだ。

必要以上に買い占めることによって、本当に必要な人のところに届かなくなることが度々起こっている。

本当に情報とは恐ろしいものである。


そして、今の自分。

長男をただ習い事として、たまたま通わせたサッカーだったが、それなりにこの辺りの地域では強いチームだったこともあり、上を目指す親御さんたちが多かった。

だから、また私は少なからずその影響を受けているのかもしれない。

もっとサッカーをやらせたい、強くなってほしい、上手くなってほしいと。。。

もともとはバレーボールをやっていた私だから、チームプレーの素晴らしさを教えたくて入れたサッカークラブだったのだが。

今では、毎週目標を立てさせ、毎日自主練をやらせるくらいの熱の入りようである。

少しそのことを次の記事に書いているので、興味を持った方は見てもらうといい。


今でもどこのサッカースクールに通わせようかと悩んだり、情報収集をしている。
(クラブチームとは別にスクールに入れるって意味ね)

そして、セレクションはいつあるのかとか、どこがいいのかとか、そんなことばかり考えているのだから、どうしようもない。

これも全部、『影響』のせいである。

クラブチームも子たちがそうしてるから、サッカー選手を目指しているから、そして、自分の子どもたちもサッカー選手になりたいと言うようになったから。

これももし、このクラブチームに入っていなければどうだったのだろうか。


人はみな、何かしらの『影響』を受けて、自分の選択肢を選んでいるのだ。

それが現実であると、私は思うのである。





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