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彼女の一言

若い頃、もてなかった。「かった」って、その後も、もててないけど…。

大学時代は、1年生の時に何かに挫折して3ヶ月もキャンパスに足を踏み入れなかったり(あの厳しい大学でよく留年しなかったものだ)、4年生の時にはなかなか就職が決まらなかったり、完全に落ちこぼれだった。

運動神経もゼロ!体も硬く、前屈も、指先が床につかない。美術センスもゼロ!絵はとてもへたくそで、何か説明するにも書けない。かろうじて音楽センスは少しあるようで、歌はまあまあ人並み。ギターも少しやっていたが、指がとても短く、関節も硬いので押さえられないコードがある。

その頃は、こんな私にでもモーション掛けてくる女性もいたし、お付き合いもした。しかし、会社に入ってからは全然だった。
学生の頃は、同じような年頃の女性がたくさんいたからかな。

大学を卒業してからカミサンとつきあうまでに、たった1回だけど、他の女性とお付き合いしたことがある。相手はたしか3才年下のHさん。

きっかけはこうだ。ある朝、私が出勤しようとしているところに電話があった。聞き慣れない女性の声で、「私の友達が<マコさん>とお付き合いしたいと言っている」と。

どこで知ったの?って聞いたら、電話してきた女性のお兄さんが私と同じ学年で、卒業アルバム(高校かと思われる)で見たのだと。今じゃ信じられないけど、当時は住所も電話番号も卒業アルバムに書いてあったのだ。

当然、断る理由など全くない。何しろ彼女いない歴○年だ。二つ返事でOKし、おつきあいが始まった。今じゃあ、考えられないだろうけど、顔も見たことがない人と、携帯電話もなしで待ち合わせをしたわけだ。多分、目印になる何かを持って、場所と時間を決めたのだろう。

週末はいつもデートだった。私が待ち合わせ場所まで車で迎えに行って、どこかに遊びに行き、帰りは彼女を家の近くまで送っていく。

どこへ行ったのか、全然覚えてないが、一つ覚えているのは、喫茶店などで、口紅がつくのをいやがってだろう、飲み物はあまりのまかった。

彼女は決して家の前までは送らせなかった。家族に見られるのが嫌だったらしい。当時は女性とおつきあいできると言うだけで有頂天で、余り深くは考えなかったけど。

ある日、デートが終わって家に帰ってからのこと。彼女から電話がきた。携帯電話は影も形もない時代だ。

「結婚するつもり、ある?」

一瞬、頭が真っ白に。そうか、彼女、そういうつもりだったのか。私はまだ結婚するつもりは全くなかった。悪いことをしたと思った。

「ごめん。全然そういうつもりじゃなかった。」
「ううん、謝る事なんかじゃないから。」

この言葉にどんなにほっとしたことか。

「私、<マコちゃん>とお付き合い出来て良かった。」

えっ!私と付き合えて良かった?

その言葉が信じられなかった。そんな人がいるのかと思った。私とおつきあいして良かったなんて・・・。

結局この電話が「別れの電話」になってしまった。しかし、これ以後、付き合って良かったと思われるような人間になろうと努力するようになった。些細なことでもいいから、他人から感謝されるようにしようと考えるようにもなった。

今思えば、付き合って良かったと言ってもらったことが、大学時代からの自信喪失を解消するきっかけにもなっていたのだろう。

そして、この二つ、自信と、他人から感謝される人になろうと努力したことで、今の自分があるんだなと思う。

本当は、私こそHさんに「あなたに会えて良かった」と言わなくてはならなかったのだ。なのに、それに気づいたのは、別れてずっと経ってからだった。

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(初出「mixi」2007.5.30 一部加筆修正)

今でも彼女にはとても感謝しています。

私の人生を変えたかも知れない一言をもらったこと、たとえ短い期間でもわがままな私に付き合ってくれたこと。

今では、感謝されること、「ありがとう」と言ってもらえることが、ものすごく嬉しい。でも、感情表現が苦手な私は、その喜びをうまく表に出すことができないことも多く、悔しい思いをしています。

また、仕事をしていても、私と仕事をしたいという人は結構いるみたいです。「<マコさん>と仕事ができるっていいなぁ」とか、一人補充しようと思うと言って、数人の名前を挙げて聞くと、私がいいと言った、とか、「(応援に)来てくれるなら<マコさん>がいい」とかそんな話があったと聞きます。

最初のうちは理由がわかりませんでした。仕事も遊びも手を抜かない、と言うのもあるのでしょうけど、やはり、周りの人を気遣う行動が多いのも、理由の一つかな、と思っています。これも、他人から感謝されるようになる事を意識していたからなのでしょう。

Hさん、ありがとう。どこかで幸せに暮らしていますように。



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