虐待は紙一重。
今日は私が育ってきた環境を少し含めながら、いろいろな思いを書き出してみたいと思う。
あまり暗い記事は書きたい方ではないため、振り返ってすっきりしたら消すかもしれない。
私は結婚して、地元ではなく、夫の配属先であった他県で暮らすことになった。
結婚してすぐに長男を妊娠。
最初から里帰りはせず、夫に立ち会ってもらい産むと決めていた。
なぜなら、私は決して優しい親の元では育っていない。
いわゆる、今でいう毒親に値する親であったからだ。
ギャンブルに酒に、両親からは叩かれまくったし、服も引き裂かれながら外に逃げたことも。
お酒を飲むと両親ともに人が変わる。
両親は我が子を支配するタイプだった。
親の言う通りの動きができないと激しく怒る。
年頃になると自分はおかしなことを言っていないと抵抗もするようになった。
でもそんな子供の言うことを聞き入れられるはずもなく。
特に母親が支配欲が強く、ときに父親が子供の味方をすると激しく子供に当たる。
そのうち母親はうつ病と診断され、精神薬が離せない状態になってしまった。
酔っては喧嘩、夫婦どちらかが自殺未遂など。
挙げ句の果てに2人の妹も荒れ放題、三女は精神的に追い詰められた。
近所に大喧嘩の声が響きまくっていたと妹の友人が言うぐらい激しかった。
どうやら母親も自分の母親に虐待されていたらしい。
私は優しい夫に恵まれ、逃げるように結婚した。
自分の幸せを掴むんだ!
これは自分の人生!私の人生は親のものではない!と割り切り、親の支援や助けのためではなく、勇気を持って自分の幸せを選んだ。
同時に間もなく両親は離婚。
離婚してからは両親ともに関係は良好になったようにも見えた。
その後、妹も出て行き、父も出て行った家で淋しく暮らす毎日だったようだ。
しかし、なんだかんだ長女である私に依存していた母は結婚してからも依存メールを度々送ってきた。
産後は義母が1週間、その後母が1週間来てくれた。
義母は主婦のエキスパートというべきか、行き渡っていない私達の家の家事をこなしてくれた。
だが、残念ながら人の顔色を見て、気を遣いすぎる私の性格にはそれが合わなかったようだ。
してもらって申し訳ないという気持ちから、休ませてもらっていればいいものの、じっとしていられなかった。
その後の1週間、母が来た。
逆に母は家事が苦手だ。
息子のことはすごく可愛がってくれた。
だが、家事は勝手がわからないからと私が全部やった。
正直、産褥期の自分の体を労るどころではない。
だけどそんなこと、最初から期待していないし、息子を見て喜んでくれればいいとただそれだけの気持ちだから、産後に動くことは苦ではなかった。
それよりも母の機嫌をいかにして損ねないようにするか、スイッチが入らないようにするか必死だった。
だが、義母に1週間、そんな母に1週間来てもらったことで、母乳が止まりかけた。
体は正直だ。
精神的に気疲れしてしまったのだ。
その2週間を越えて1人の育児になったとき、驚くほど順調に母乳が出始めた。
ストレスがこんなにも母乳に影響するのかとすごく驚いた。
それから本格的に育児が始まり、それなりにノイローゼに近いものや、睡眠不足、一般的に世の母親が体験する一通りの悩みを体験したように思う。
がむしゃらに育児をする中、息子が1歳2ヵ月のとき、娘の妊娠が発覚、そして間もなく母は亡くなった。
うつ病で…と言っておこう。
正直ホッとしてしまった。
離れて暮らしていても、送られてくる長文の嫌なメールがなくなった。
今でも家族からのメールや電話は「また良くないことが起こったのか。」と恐怖心が出ることがよくある。
ただ誤解して欲しくないのは、私は両親のことを嫌いではない。
受験合格の際には小心者の私より先に見に行ってくれ、一緒に泣いて合格を喜んでくれたり、姉妹の誰かが学校でトラブルがあったときはいつも大きな盾になってくれたりもした。
喘息で入院したときはそっとホッペをさすってくれた。
私は産まれてから体が弱く病院通いばかり、次女は脳内出血で産まれ、三女は先天性の足の病気で手術を繰り返し、今思えば母にしたら気が休まることはなかったと思う。
三女が一生歩けないかもしれないと診断されたときは、病院のベンチで泣いていたそうだ。
確かに愛情はあったのだ。
そんな両親の良い部分も悪い部分も見てきて、良い部分は今でも育児に役立ててるし、悪い部分は反面教師にしている。
なかなか自分の親を嫌えるものではない。
もちろん家族旅行など、楽しい思い出もたくさんある。
尊敬できる部分、良い部分を見つけられていることは自分でもすごく幸せだと思う。
さて、子供を産んで、我が子に罵声を浴びせる気持ち、今だからわかることがよくある。
特に新生児から幼児期にかけては、「母もこんな気持ちだったのか。」と思えるようになったものだ。
今、まだ小さい子供を育ててる妹2人には私は常々言うようにしている。
「虐待は紙一重だよ。」と。
自分にもそうやってストップをかけてきたからだ。
絶対に自分の親がしてきたようには我が子にはしないと思ってるからこそ、「いいお母さんにならないと!」が余計に自分にとってプレッシャーになるのだ。
自分は生真面目な性格で、簡単に人には甘えられない。
人の顔色を見る。
自分で自分を追い詰める。
そんな性格だと理解しているからこそ、「誰でも虐待し得る可能性があるんだよ。」と自分に言い聞かせているのだ。
そう思わなければ、もし俗に言う「いいお母さん」の道を外れてしまったとき、自分が壊れそうな気がするから。
あ、決して自分は「いいお母さん」ではない!
寝ない、泣き止まない、飲まないの新生児を抱きながら、最悪のことを考えていた自分もいたのは今だからこそ吐き出せる。
そのときは「なんてこと考えてるんだ!」と想像した自分が恐ろしく自分を責めたりもしたものだ。
年子の息子と娘の同時の泣き声に合わせて、私も何度叫び泣いたことか。
「虐待は紙一重だよ。」
この言葉は私にとっての「ダメ元」と同じ位置付けなのだ。
ダメで元々だと思うと、すごく育児が楽になる気がする。
育児なんてダメ元だ!
「私は絶対虐待なんてしない!」って思ってると、そういう恐ろしい考えを自分が持ってしまったとき、「自分はこんなはずじゃなかった!」とギャップに苦しめられてしまうと思う。
そんないろいろな葛藤を抱きながら今まで育児を頑張ってきたつもりだが、我が子から見た母としての私はどう映ってるんだろう。
私は恐くて、母親と腕を組んだり、母親にくっついて甘えると言ったようなことができなかった。
もちろん母親も「おいで」みたいなタイプではなかった。
だから周りの友達親子に憧れたこともある。
そんな背景もあるせいか、よく娘が「お母さーん」って、腕にピッタリくっついてきたり、おでこをくっつけてふざけ合ったりできる今の関係をとても不思議に思う。
これが本来母親に甘えることのできる子供の姿なんだなと、不思議と客観的に見てる自分がいたりする。
それがきっと母親に心許す姿なんだろう。
そんな風に両手を広げられているであろう自分に、ホッとしたりもする一瞬である。
今となっては子供の友達関係に、成長具合に…
別の育児の悩みが頻繁に毎日舞い込んでくる。
産んでからの約10年近く、今でも全く気が休まらない。
でも1つ言えることは、我が子を産んでから今まで可愛さは一切変わらなかったということ。
我が子は愛しすぎる。
綺麗事ではなく、我が家には笑いが溢れている。
私も心から笑える日々を送っている。
本当によかった。
この状態で育児できていることをとても幸せに思う。