3 竜馬とよさこい節

はるか三百里!(約1200km)離れた江戸へ剣術修行に向かうべく、坂本家を出発した竜馬は、長宗我部元親が身をおこしたと伝説のある「領石」という、城下より三里(約12km)離れた山村まで、多くの仲間に見送りを受ける。

立身出世をみんなで応援するという、土佐の気風がよく表れている段である。
途中で一人一人交代で唄を歌いながら歩くという習慣は、しばしの別れとはいえ、明るく楽しそうである。

その中の一人、日根野道場師範代、土井揚五郎が竜馬に言う。


「竜馬、おんしも歌え」
「うまくない」
「その下手なところが愛嬌じゃ。そうじゃ、いかけ屋お馬をうたえ」
「お馬か…」
「ほら、赤うなったぞ」
「ばかをいえ」

「竜馬がゆく」(一)p24〜p25


この唄、「いかけ屋お馬」とは、

土佐の高知のはりまや橋で、ぼんさんカンザシ買うをみた ハァよさこい、よさこい

高知県民謡「よさこい節」第一節

のことのようだ。「坊さん」が「いかけ屋お馬」に恋をし、プレゼントすべく、カンザシを買ったという。
実話らしい。


お馬というのは城下きっての美人で、五台山のふもとで鋳掛屋をいとなむなにがしの娘だった。
(中略)
竜馬とは同年で、お馬の母がむかし坂本家の女中をしていたため、ときどき、屋敷にきたこともある。

「竜馬がゆく」(一)p25


幕末に実際いた人の唄だったと知ると、なんかリアリティを感じる。
お馬という人は、鋳掛屋(洗濯屋)の身分ながら、城下の多くの若侍や若僧にアプローチを受けるほど美人だったらしく、才谷屋にもよく来たことから、青年竜馬も少しは気になる存在だったと思う。
だから、赤くなったのだろう(笑)

純信という若僧がいた。
かれはお馬の歓心をかうために、城下でもっとも人のにぎわう播磨屋橋のたもとの小間物屋「橘屋」で馬の骨のカンザシを一つ買った。
当時、藩庁から奢侈禁止令が出ていて、おなじカンザシでも、サンゴは禁制品になっていたのである。
これが、城下にひろまった。

「竜馬がゆく」(一)p25

僧といえば恋愛はご法度だろうし、土佐藩は身分差もある土地であったので、恋愛成就する可能性は低そうな気がする。

また、サンゴのカンザシは禁制品であるから、代わりに馬骨製のカンザシというのも、なんともセツナイ情景である。
当時のことだから、純信がお馬にカンザシ渡して終わる純愛かも…

と、思ったらまあ、調べると駆け落ち事件となっている!
多分、それがロマンチックで、唄にしてしまうほど、高知の人の心を掴んだのではないかと思う。

のちに
「今一度、日本を洗濯し候」
と、倒幕革命を洗濯に例えた手紙を書いた竜馬は、もしかしたら、若き日に出会っていた鋳掛屋お馬のことを少し思い出していたのかもしれない。

つづく


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