土曜の夜に映画を見てからずっと機嫌が悪い (THE BATMANネタバレ有り)


タイトルの通りである。ずっと機嫌が悪い。理由はたくさんある。
でも一番は映画と自分に怒っているんだろう。

まず仕事がうまく行っていない。
自分でやりたいと言ってボスに交渉して頑張ってみた実験が、うまくいかなかった。
もしも本当だったらかなり面白かったけど。
サイエンスの世界なんてそんなのばっかりだから落ち込むことじゃない。
だから本質的な機嫌の悪さはそこじゃない。

あと忙しい。
申請書を書いている。書いても書いても満足しない。クソみたいな気分になる。文章作成能力が低い。本当に低い。
アメリカに来てから日本語のボキャブラリーが下がり、英語は大してうまくなっていないと思う。思い込んでいる。

それから、2020年に渡航してきてから一度も一時帰国の予定が立ってない。休みたい。
休みの予定はある。自分1人の為だけに休みをとる。人生で初めて。
30歳に。こんな年齢になって、初めて自分だけのために旅行をする。
それはそれはすごく楽しみ。これまで大金を使ったのはバイクと移住の引越しだけだった。いよいよ来る。遊びの旅行に大金を使う時が。


話を映画、土曜日に観たバットマンに戻す。
空気が読めない人間なので、日本語のTwitterの「#バットマンエモい」がマジでわからない。あるのは怒り。

冒頭にアジア人男性が襲われる。メガネは吹っ飛んで、雨の中で殴る蹴るの暴行を受ける。襲われる前から、男性は車内でターゲットにされたのに気づく。あのシーン。地下鉄に乗ると時々感じるあの品定めされるような目つきを思い出す。金がないアピールも兼ねて、いまだに有線のイヤホンを使っている私。最近端子が錆びて接続が悪くなってきた。それでも使っている。聞こえていなくても、耳に何かをつけて音楽を聞いているふりをしていないと、「お前、聞こえているんだろ」ってギター弾いたりスピーチしたりして銭を稼ごうとする人に絡まれるから。わかっている。いつもずっとそういうわけじゃない。でも怖い。そういう電車に乗り合わせてしまった時は指先が凍るみたいに緊張する。お金を払って映画を見に来たのに、どうして私はそんなことを考えさせられなきゃいけないんだ。やめてくれ。

津波のシーンもだった。私は震災で日本にいなかったから、当時日本のどこであろうと震災を経験した人と「あのとき〇〇だったね」という話ができない。されるといつも疎外感がある。むしろ、「帰ってはいけない、ホームステイ滞在費はいらないから、落ち着くまでここにいなさい」とさえ言ってくれて、日曜日に教会で一緒に祈ってくれたホストマザーのことを思い出す。でも、同時に家族のことも思い出す。仙台港のそばの父はもろに被災し、人も物も車もどす黒い壁が迫りなぎ倒しビルを囲い横切るのをビルの屋上で季節外れの雪に震えながら見たと言った。克明で詳細な説明は一度聞いたきりのような。少し辛そうな顔をしてた。タバコの煙が目に入ったんだよ、と言っていたけど。

人為的な爆発により堤防が決壊して、津波のように水が迫る。恐ろしい。
あそこはバットマンが初めて「上から目線で助けてあげる」から感電リスクとずぶ濡れのリスク承知で「人を助けて導き役に立とう」と切り替わったシーンだったように思う。思うけど。
どうして津波のプロットになったのか。
人為的な犯罪が事前災害まがいの範囲のダメージを与えにくるスタンス。
放火からの山林火災、的な。
津波にしてくれるなよ。エンタメじゃないんだ。
調べたらアメリカには津波はほぼ来たことがないそうだ。家具の感じや試薬棚の感じからもわかる。それなりの頻度で起こる地震によって物がボコボコ落ちてきたり、警報で起こされて防災袋を持って玄関を開ける生活を知らない。知られていない。

知らない遠くのこと。すごく遠くの国で起こるテレビやPCのスクリーンに映るもの。だから映画のネタにしたのか。エンタメにしたのか?
ヒーローが活躍するきっかけにしたのか?

本当に嫌だった。リアルを追求するために、実際にあった事件やSNS会員登録性サロン、首爆弾事件など、社会問題になってい る/た ことを取り扱っている意図があるのは明らかだ。NYやシカゴをモデルにした街並み。その割に、警察官にも、群衆エキストラにも、アジアンルックの人間は出てこなかった。
ヘイトクライムのくだりでだけ取り上げるアジア顔。
「お前のようなアジアンルックは、この国では犯罪のターゲットにはなっても、それ以外にはどこにも居場所はないのさ。」と言われているような気持ちになった。辛くなった。

それに、アメリカにきて生活しているからこの映画を見てこんな気持ちになるということに気付いてしまった。ダークナイトを映画館で見た時は中学生で、バットマンめっちゃカッケーすげーハンパねートラックひっくり返ってるジョーカーやべーぐらいにしか思わなかった。アメリカに住んで、アジア人のマイノリティーになったからこそ感じてしまったことだし、知らない方が映画を楽しめたのだろうなという気持ちがある。演技だって素晴らしいし、脚本だってよく練られているし、写真のようなシーン描写やライティングがあって、もちろんアジアや津波でディスってやろうなんて意図があるわけじゃないからなおのこと批判的にしか観られない自分が嫌でますます辛くなった。

アメリカに来たのは自分の意思なんだからそういうのも含めて受け入れて生きろよ、とか自分の責任でしょと自分で自分を責める気持ちも出てくる。そんなこと言われたくない。自己責任論はもうたくさんだ。
映画は私にとって、いつもたくさんの気持ちを起こさせてくれる大事な存在だが、こんな気持ちになったのは悪い意味で初めてで、自分でもどうしたらいいかわからないから動揺している。
ので、書き起こした。
落ち着いたら、消したほうがいいかもしれない。
でも、NYのマンハッタンの端っこで必死に生活している1人のアジア人日本人として、どう感じたかを知って欲しい承認欲求もある気がする。
私は面倒な人間だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?