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家への愛着。

近いうちに、私は今の家から卒業(引っ越す)ことになりました。
社会人になってから引っ越すのは3回目。社会人になる前も合わせると(記憶がない時から遡る)、私は人生で6回も家を変えているらしいです。

これが多いのか少ないのか、で行くと割と多めなのではないかと個人的には思っております。

いま住んでいる家は、自分で選んだ中でもかなりお気に入りの家なのでなかなかの愛着があります。家への愛着、、、ってありますよね。

実家としての愛着と、一人暮らしの家の愛着ってまた違うと思うんです。
実家は、大切な家族と一緒に過ごした記憶が残っているから、絶対になくなってほしくないという気持ちになる。実家への愛着は、「家族と過ごした」軌跡を無くしたくない。という気持ちから生まれている気がします。
なんというか、本来人間が持っている家族愛がそのまま反映されている感じですね。

社会人時代一人暮らしした家への愛着、これは「自分が苦労して選んで引越しした思い出」に対する愛着なのかなと思っていました。でも最近、人に対する愛着もあるんだなと気づいたのでそのことをつらつらと書こうと思います。

誰かと過ごしている時間なんてそんなにないから、そこまで気持ちを持つことはなさそう…とも思ってしまうんですが、でもよくよく考えると「私前にここに住んでたんです!」っていう話、よく聞きますよね。

ここで、私がなぜ今の家に愛着を持っているか考えたんですけど…

・この家選んだ時の不動産屋さんが過去一番で素敵な方だった。同じ路線に住む時はこの人にお願いしたい。
・いま住んでいる駅の雰囲気が好き。東京のど真ん中なのに、地元の人が快く受け入れてくれる。

あれれ、結局人でした。家族愛の他に「隣人愛」という言葉が確かあると思うんですけど、その隣人愛を感じた時に、愛着として残るんだなと思っています。人は、基本的に同じ人と関わることに思い出を作り、記憶を残し、愛着を持つんだなということですね。

自分はいい記憶を残せる人になっているのか

そこで考えたのが(朝書いているからいろいろ派生する)、自分が人に愛着を持ってもらえるような、人に思い出として残せているような存在になれているか、ふと考えました。家を探してくれた不動産屋さん、一緒にお酒を楽しく飲んでくれた世田谷区の人々…みんな私に対してgiveの精神がすごかったなと今振り返れば思います。

私の名前は「美しく晴れる」と書いて美晴と読みます。この名前の通り明るくて晴れやかな記憶をみなさんに残せるような、そんな人になりたいです。

人は、自分が焦っている時や危機に面した時に素が出るといいますが、私はまだまだ心にゆとりがないなと感じてしまう節がいくつかあります。ゆとりがないと、人の為にできることが少なくなり、人の思い出に残る、記憶に残る「ポジティブ」な影響を与えられない。

新しく住む家は、心のゆとりも生まれやすい、広々とした家。
新しい家と共に、私もいろんな人にgiveできるように日々成長していきます。

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