小説|A Ghost of Flare. #3
* * *
首に浮かんだ不吉な痣が漸く薄れてきた。
篁はいたって元気だ。
心配されていた怪我や病気もなく、平常通り様々な怪奇現象を見逃しながら生活していた。
篁は自身の両掌を眺めながら考えていた。
なぜ自分はこんなにも霊感がないのか。
霊的なものと無縁なこの手相が悪いのではないか。
今の時代はとても便利だ。
スマホさえあれば何でも調べられる。
自分はどうもスピリチュアルな才能とは無縁の手相をしているらしい。
「手相を変えるには印を結ぶとえいがじゃな? こうやって……こう」
手相が変われば運命が変わる。
スピリチュアルな才能が開花するという出所不明の印を結ぶ。
篁はどうしても幽霊と対話がしたい。
運命を捻じ曲げてでも対話がしたいのだ。
伝えたいことがあるわけではないが、聞きたいことはたくさんあった。
生前の記憶とか、あの世のこととか。
「いっそ夢枕にでも立ってくれんかのぉ」
いよいよ他力本願だ。
篁は印を結んだまま部屋の中をぐるりと見渡した。
「にゃあ、聞こえちゅうか。夢枕じゃ。出来るろう?」
少しの変化も見逃さないつもりでくるくるとした丸い大きな目を凝らすが、当然何も起こるはずはなく、篁の独り言は壁の中へと吸い込まれていった。
* * *
鼻歌まじりに夜食を作っている篁は、相変わらず全てを見逃し聞き逃している。
今日の夜食は鶏飯風スープかけごはんらしい。
「もうまあ出来るき、座って待ちより」
完全に誰かいるテイでしゃべっているが、部屋にはもちろん誰もいない。
おれ以外は。
「よし! 完成じゃ!」
篁はテーブルに用意された二つの器に同じ分だけ鍋の中身をよそうと、ひとつを自分の方へ、もうひとつを自分の正面の席へと置いた。
鶏がらスープのいい匂いが鼻を掠める。
こんなふうに誰かに飯を振る舞われるのはいつぶりだろうか。
「こんお供え効果で何とか夢枕に立ってもろうて……」
賄賂かよ。
夢の中で故人と対話するためには寝ている人間の深い感受性が必要だ。
こいつにはその特殊な感覚が一ミリも備わっていない。
夢枕どころか毎日枕元に立ってんだろうが。
今だってこんなに近くにいるというのに、こいつは何ひとつ気付いていないではないか。
奇跡的に夢の中での対話が成功したとして、どうせ翌朝にはすっかり忘れているのだろう。
交わされた言葉や感情がこいつの記憶のどこにも残ることなく消えていくのは、やはり少し寂しいと思う。
人との繋がりなんて煩わしいだけだと思っていたのに。
もしこいつと話ができたらどんなことを話そう。
質問攻めにされて終わるだろうか。
「……もう食べ終わっちゅうろうか」
あ。
まだ少ししか手をつけていなかったスープかけごはんを持っていかれてしまった。
こいつはいつも供え物を片付けるのが早い。
こいつと話をする機会が訪れたら、このことについて文句を言ってやろう。
夜は深まり、静寂が暗いリビングに広がっている。
夜食を食い終わり風呂を済ませた篁は、温もりに包まれたままベッドに潜り込み、五分もしないうちにすやすやと寝入ってしまった。
リビングでは秒針の進む音とかつての死の音が無限に鳴り響いている。
自らの死に立ち会うたび、哲学的な問いかけが頭に浮かんでは消える。
膨大な時間の中で生きた、たった二十数年の人生に何の意味があったのか。
過去としか共鳴しない死の音を聞きながら、一晩中そんなことを考えているのだ。
暗いリビングが携帯電話の通知音とともにぼんやりと照らされた。
一日中携帯をいじっているくせに、充電を忘れて寝てしまったのか。
携帯電話の画面には誰かからのメッセージが表示されていた。
興味本意で携帯に触れてみる。
──何のお手伝いをしましょうか?
突然女の声が携帯電話から聞こえて、おれは慌てて手を引っ込めた。
声の主が携帯電話の合成音声であることに気付いたのはそのすぐ後だ。
たまに篁が携帯電話に向かって何か指示を出していることがあったが、その時聞こえてきた声も確かこんな声だった。
おれはもう一度篁の携帯に触れてみた。
──内容はどうしますか?
おれの動作を認識しているのか、携帯電話に触れるたびに音声が起動し、次の指示を待っている。
しばらく放置して画面が消えるのを待ち、再び画面に触れてみると、今度はいくつものアイコンが並んだ画面が開いた。
アイコンの中にはカメラや写真、メッセージなどの他に、知らない名前とロゴがたくさん並んでいて、これらに触れることでアプリケーションとして作動させるのだろうと理解した。
だが、適当なアイコンの上に指を置いてみるも、画面上に変化は見られなかった。
使い方が間違っているのか、それともただ反応していないだけなのか。
おそらく後者だろうが、動かないのであればこれ以上できることは何もない。
ソファーに体を沈め、背もたれに頭を預ける。
「……はぁ」
何かを残せるかもしれないと、ほんの少し期待をしてしまった。
期待してしまった分、落胆は大きかった。
夜が更けていく。
時折何かを受信して光る携帯電話の光が部屋の中を照らしている。
こんな夜中でも孤独に寄り添ってくれる光があるのはありがたいものだ。
しかし、家の中で自死を繰り返しているおれにこの光は届かない。
もしもあの夜、こんなふうに一瞬でも寄り添ってくれる光があったなら、おれは死なずに済んだだろうか。
自死という究極の静寂と夜の深い闇が問いかける。
お前は生きたかったのか、と。
* * *
(続く)