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イケナイコトカイ #第6夜
初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。
ココロを裸にしてくださるパートナーがいて、わたしがわたしでいられたころってあったんだっけなあと思い起こしてみたときに、ああ、我ながら不毛な環境を選り好んで生きてきたなあと振り返るのです。
(前話がまだの方はこちらからどうぞ↓)
やっぱり好きなひとの前ではかわいくありたいし、あなたが望む理想のわたしでありたいし、カメレオン女優といわんばかりに相手に合わせてキャラクターをころころと変えるようないまのわたしがある意味で誕生したのは20歳のころ。
(好きなひとにワンワンと呼ばれていたのだけれど、それはまた別のお話)
それから時代が移り変われど、「わたしらしい」って表現にやっぱりしっくりこなくって、あなたに魅せるわたしこそわたしで、それじゃあ自分ってなに?という哲学に触れることから逃げていたかもしれない、と思うのです。
わたしは自分のことが大好きだし、大嫌いです。
もっとこういうわたしになれたらいいのにと自己否定を繰り返しては、でもやっぱり愛おしくってかわいくって甘やかしたくなるのもまた自分で。
生きとし生けるもののなかで、いちばん興味があるのがわたし自身なのだと感じるのです。
愛されるより愛したい(突然のKinKi Kids)と思ったり
好きになったひとはぜったいに手に入れたい、とハンターになったりするくせに
与えられる愛からは逃げ、そのくせ不器用にしかひとを愛せなくって、ああ、また愛し方を間違えては去っていくひとを追えずに自作自演、叶わない願いと知りながら(突然の夢幻鉄道)あなたを想いひとり枕を濡らしてみたりして。
それでも、いまだけは
穏やかにわたしを包んでくれるやさしいひとを求めたり、ココロが忙しない今日この頃。
「一生、あなたがわたしのいちばんです。」
そう約束するのが結婚なら、きっともうわたしには出来ないのだろうなと苦笑いを決め込むのだけれど、
心のどこかでは「誰かのいちばんでありたい」と思ってしまっていて、願わくばいちばんではなくオンリーワンでありたいと感じるのはわたしのわがままなのでしょうか。
「与えよ、さらば与えられん」
愛はまず与えるものである、と学んでいるのにもかかわらず、カラダを重ねること以外の与える愛に自信がないから、愛の与え方が不器用で、それでも、傷ついてでも手に入れたい愛があって、手に入れたのなら離したくないと思って、息もできないほどに惚れ込んで、でもその愛のベクトルがわたしには向いていないことを悟って、格好悪いくらいに涙を流して、その繰り返しでわたしという存在は成り立っているのだと思うのです。
それでも、ほんのひとときでも、
こころが通いあうかもしれないという期待に胸を膨らませながら、ひとりメーカーズマークを氷の音色を響かせながら口元に運び、眠れぬ夜にあなたを想ってみたりするのです。
つづく
#自分を愛するということ
#イケナイコトカイ
#岡村靖幸
#MEGのカバー最高
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