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【第3章】自分を愛するということ。 #第1夜
初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。
前回までの第2章全10夜を綴りながら、わたしが愛し愛されたいと思う相手はわたし自身だったのだと気付き、その気付きとともにステディだと思っていた関係を手放し、文字通りひとりの道を歩み始めた今日この頃。
↓まだのひとはこちらから読んでね
浅ましく卑しいわたしという人間は、
誰かに埋めてもらうことでしか満たすことを知らないものですから、
それが精神的でも肉体的でも、
つながりを求めては期待し、
その過度な期待に辟易して去っていくものごとたちをしがみつくほどには引き止められず、
また次に満たしてくださりそうなところへと嗅覚を研ぎ澄ませる毎日。
でも現実には、
ぽっかり空いたと思い込んでいるその場所に穴なんてないし、
泣き喚こうが取り乱そうがそばにいてくださる方はきっと寄り添ってくださるし、
そうでないのならばそれまでのご縁っていうもので。
なにかに満たしてもらう人生よりも、
ひとりである自分に向き合って、わたし自身がわたしを満たす人生のほうがはるかに有意義で現実味を帯びているのだと気付いたのです。
だって、命絶えるときはひとりなのだから。
生きる選択をするのが自分なら、
死もまた自分次第。
死に様は選べないかもしれないけれど、
生き様は選ぶ権利があるのだと思うのです。
かの有名なハリウッドスター、マリリン・モンローは、36歳の夏にそのホットで数奇な生涯の幕を下ろしています。
愛を求め、3度の結婚離婚、名だたる殿方との不倫を経て、果たして彼女は愛を見つけられたのだろうか。
死してなお書き変わるWikipediaには答えなどもちろん載っていなく、きっと彼女のなかにしかそれはないのだろうと悟るのです。
歳女の夏を前に、
大好きな彼女を想い
わたしはわたしの愛し方を模索しようと
わたしが愛するわたしとは誰なのか
向き合うときがやってきたのです。
つづく
#自分を愛するということ
#自叙伝的なそれになりそう
#まだ死にません
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