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It’s Only A Paper Moon. #第9夜
初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。
月の満ち欠けとともに生きていると、空を見るだけで愛おしさが込み上げたりとりとめもなく悲しくなったりするのですが、
世の中が十数年に一度の自然現象に嬉々とするなかで、ひとりかふたりくらいはこの空を見ながらわたしのことも想い出してくださっているのかなぁと思いを馳せる今日この頃。
愛し愛されるということに向き合うと、
つくづくわたしの過ごしていたケッコンは作りものだったなぁと思わされます。
仮面夫婦?偽装結婚?
誰かが決めた世間一般だとそんな呼び名になってしまうのかもしれません。
事情があったにせよ、
暮らしを確立出来なかった。
生活を築けなかった。
出来なかったことを並べたらキリがないけれど、そこに尽きるのだなぁと思うのです。
29歳から35歳までに7回引越しをしているのですが(それはまた別のお話)訳ありではなく結果そうなったと思っていたけれどやっぱりきっと普通ではなくって、
過去を消化しきれていないのには、20代を費やした元彼との5年間の暮らしがもうしっかりと「生活の記憶」としてカラダに刻まれていて、あれから時間も場所も定められていないことが引っかかっているのだろうと振り返るのです。
誰かを好きになって、
こころを捧げて、
ほかに目移りしたりほだされたりしてもきちんと戻るべき場所があって、
「ただいま」があって「おかえり」があって、
「いただきます」があって「ごちそうさま」があって。
「いってらっしゃい」があってハグがあってキスがあって。
「バカだなぁ」があって「もういいっ」があって、
「ありがとう」があって「うれしい」があって。
住民票も移していなかったし友人はおろか実家にさえ住所を知らせていなかったから、
他人から言わせればままごとのような生活だったのだろうし、なんの記録にも残されてはいないし、わたしがいなくなれば記憶すら消えてしまうのだけれど、
まやかしではなく、
たしかにそれは暮らしだったのです。
ケッコンすれば暮らしをつくる努力が出来ると思っていたけれど、ままごとのようなあの頃さえも上回れなかったのは算段違いで、
やっぱり紙の月は月ではないのをまざまざと知ることになるのです。
いま、ひとりになって、
寂しさよりは「ひとりである」ことを感じる毎日を暮らしているなかで、
ここからあと何年生きるかわからないけれど、
ようやくちゃんと「ひとりになってしまった」2014年晩秋のわたしを受け入れているのだろうと、6年余りの歳月を経て癒やしていくスタートラインなのだろうと思うのです。
癒やすとは何か。
甘やかしてくださる殿方の腕のなかでもそれはきっと相殺できなくって、
35歳のいま、29歳のわたしを愛して抱きしめているのです。
つづく
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