見出し画像

ふたりで糸まき。2

twitterでつながったきいろちゃんと、往復書簡はじめます。

「ふたりで糸まき。」
1通目が、きいろちゃんから届きました。
つながった経緯や、タイトルの由来も書いてくれているので、こちらからぜひ!




wishリストに書いていた、「往復書簡をやりたい」って願い。
こんなに早く叶うと思わなくて、びっくりしてる。笑


と同時にとても嬉しくて。
わたしのnoteも昔のまで読んでくれて、そして声をかけてくれたというきいろちゃんに、とっても感謝の気持ち。

一方、わたし。
きいろちゃんのnote、1通目書いたよー!投稿したよー!の連絡をもらってから、ひとつひとつ読ませてもらいました。

ちゃんと読みもしないでOKしたんかい!
って感じだけど、わたし的には、twitterでのやりとりで、一緒にやってみたい、って思ったんだよね。
(それで特にnoteのアカウントも聞かず…笑)
(ぽんと飛び込んでしまうのは、わたしあるあるかもしれない)

きいろちゃんのnoteを読んで、あらためて、往復書簡を一緒にできる嬉しさとわくわくを感じてる。
ひとつひとつがとても丁寧で、真摯で、やりとりしながら、また違った自分のことばが引き出されそうで、化学反応っていうのかな?それがとても楽しみな気持ち。

お返事どう書こうかなと思って、もらった手紙とともにある時間も、とても豊かだなぁと思った。

そして、わたしが往復書簡をやりたいなぁと思った気持ちを少し。

もともと手紙を書くのは好きで。
レターセットやらポストカードやら。
かわいい切手とか。
おもしろいふせんとかもすごい集めちゃったりしてて。

ちょうどご時世的に人に会えなくなったタイミングと、それに近いところで、手書きメモ(ふせん)をたくさん書いていた環境から、デジタルでの画面の文字でのやりとりが多い環境に移ったりしたこともあって。
「だれかの手ざわり」感って、無意識に意識してたんだなぁって気付いた。

かといって、絶対手書きだ!ってこともなくて。
かといって、すぐ返事くれ!ってこともなくて。

ゆるゆる、それぞれのタイミングで、でもちゃんとそこにある(いる)、ってことを認識できるような、そんな絶妙なラインの手ざわり感、というのかなぁ?探ってた気もする。

で、noteで往復書簡されてる方の見たりして、あぁこの感じいいなぁ、と思って。

それぞれの距離で、そこに置かれたことばたちを眺める。
で、また出てきたことばを置いてみる。

会話とかって、キャッチボールのイメージもあって、たしかにそうなんだけど、全部受けとるのはしんどいじゃーんってときもあるじゃーん、と思って、眺めるくらいの感じもありかもなぁって。
受け取らないし浸透もしないけど、ただとなりにある、みたいなことで、救われることもある気がして。

って書いているけれど、noteで往復書簡って、初めてで。
やってみるとなんだか不思議な感じ。

いつも自分でnote書くときは、だれかに宛ててというより、中空に放つ感じがあるから、宛先があるのは新鮮な感覚。

書きはじめると、あれもこれもシェアしたいとか、これ書きたいとか出てきちゃうんだけど、どこまで書こうかな。(こころの声が漏れる)

往復書簡のきっかけになったwishリスト。
わたしも今まで書いたことあったけど、こうやってちゃんと向き合ってるのは初めてかもしれない。
今までは、書いて終わる、みたいな、計画倒れ、みたいな。笑

ほんと、叶うことは叶うんだよね。
その時が来たら叶うというか。
どこか遠くに手を伸ばしがちだけど、すぐそばにあったというか。
(そんな風に思えてきたのも、やっと最近のことだけど)
(叶えたい反面、日常を保つこととか、体力温存するとか、それもすごく共感する)

きいろちゃんの新しい靴はどんな靴かなぁ、ってひそかに楽しみ!
(靴屋さんの短い物語を書いたことがあって、もともと靴は好きだけど、靴そのものが持つ力、さらに気になっている)

今日は新月。
これからどんなやりとりがうまれていくのか楽しみ。

たまたますぐお返事書けたけど、きっとちょっと空くこともあるだろうし…(特にわたし笑)

そこで起こること、出てくることばを、まるっと楽しめたらな。
そんな気持ちの今です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?