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さらば、シエンタ


新社会人になった年の4月、初めてのマイカーが納車されたのは、晴れた日だった。

トヨタの初代シエンタ。
発売になってから、2、3回目のマイナーチェンジを経ていたあたりのモデルだ。

自分にとって最初の車だから、新車にしても軽自動車を考えていたこともあったし、日産ラシーンや発売当初のワゴンR、RAV4が好きだったので中古車も考えていた。

でも、我が家では祖父の代から同じ「トヨタのお店」で車を購入しており、いつの間にか、私もそこで選ぶ流れが出来ていた。

長年雪国の車社会で生活してきた両親にしてみれば、四駆の普通車の安全性は、娘の車の絶対条件でもあったのだろう。


そんなわけで、当時の私に与えられた選択肢は、

ファンカーゴ、パッソ、そしてシエンタだった。

パッソについては、プチプチプチトヨタ〜のCMソングから思い出すあの真っ赤なカラーのイメージが強く、可愛らしさはあったが、私の好みではなかったため、早々に選択肢から外れた。

ファンカーゴもCMのイメージは強かった。
ファン!カー!ゴー!の語感はいまだに頭に残っているし、当時の車のなかでは際だって目を引くカラーリングだった。こちらは大きさも車高も好みではあったが、知人が購入したと聞いた後だったために悩んだ挙句選択肢から外した。

シエンタはといえば……正直に言うとCMは思い出せない。
でも、全体的に丸みのあるフォルムだが鼻先とフロントに段がある正面、丸目のライト、両側のスライドドアと7人乗りでアレンジの効くシート、比較的好みのカラーリングと、要するに3つの選択肢の中では好みだったのだ。


シエンタが納車されてすぐ、カー用品専門店へ走ったのを覚えている。

外側をいじる技術も知識も無かったし、見た目はとても気に入っていたから何も見なかったけれど、クッションやドリンクホルダーなどを選んだし、携帯電話を置きやすいようにナイトメアビフォアクリスマスの滑り止めシリコンマットを買ったりした。
我ながら浮かれていたものだ。

最初の運転はだいぶ慎重だったし、危なっかしいものだったけれど、毎日運転していれば嫌でも慣れていく。
内装も少しずつ自分にとって快適なものを足して、オーディオにはどんどん好きな音楽を登録した。
いい車乗ってるね、と言われれば嬉しかったし、続々とでる新しい車に目移りすることがあっても、結局はシエンタに何の不満も無かったから変えることはしなかった。

そうやって、たまに擦ったりぶつかったりぶつけられたりしながらも修理点検を重ねて、私はこのシエンタに乗り続けた。

時を経て、結婚して子どもを産み母となってからも、シエンタは変わらず乗りやすい良い車だった。
経年と維持費の上昇は気になったが、それでも手放す気にならずにいた。
だがここ最近、家族と色々な条件をすり合わせて相談したところ、新しい車を買うには今がベストタイミングだという結論がでたため、買いかえることになった。

もちろん、新車選びは楽しかった。

今回は夫と2人で相談し、メーカーも車種も自由に選ぶことにしていたし、シエンタを購入したときから比べれば車そのものが進化していた。

時間をかけて選ぼうと思っていた新車は意外とあっさり決まって、商談もまさにとんとん拍子でまとまった。

納車日が決まってからは、シエンタを運転している最中にはふと寂しさを覚えたりした。
まだまだ走れるだろうにと何だか申し訳ないような、自分がこのシエンタに可哀想なことをしているような不思議な気持ちにもなった。

そして新しい車の、納車日がきた。

グズる子どもに手を焼きながら準備を済ませ、シエンタのエンジンをかけた。
いつもよりゆっくりハンドルをきって、自宅を出たのは、約束の時間の直前だった。

本当はもっと前持って家を出て、ドライブがてら販売店に向かうつもりだったのに、そんな余裕はなかった。

いつもより混雑していた道路での運転や、後ろに乗せていた子どもに気を取られたりしたけれど、せめてと、最初の頃にオーディオに登録した曲を選んだ。

LOVE PSYCHEDELICOのアルバムだった。

何年経っても褪せない声を聞きながら、あの晴れた日、ぴっかぴかの状態で納車されたシエンタを思い出した。

内装カラーに合わせて買ったクッションやカー用品のこと、
友人を乗せるようになった頃のこと、
初めてつけた傷やいままでの事故のこと、
ぼんやりしたくて行った河川敷のこと

自分でもびっくりするくらい、色んなことが頭に浮かんだ。

通った会社や、遊び場を登録したままのナビは、年数が経ちすぎて今は無い施設名を表示したりもするけど、それだって楽しめたし、オーディオにはLOVE PSYCHEDELICO以外にも好きな曲ばかりが入っている。

販売店に着いた後、新しい車の支払いを済ませ説明を受けて、納車手続きは30分程度で終わった。

チャイルドシートを乗せ替えて、シエンタに残していた荷物をとって、新しい車に積み込んだ。
廃車に必要な手続きは済んでいるから、シエンタとはそこでお別れだった。

あとはもう、新しい車に乗って帰るだけだ。

子どもを先に新しい車に乗せ、私は忘れ物を確かめるフリをして、もう一度シエンタの運転席のドアを開けた。

新しい車に比べたら、座面は汚いし足元のシートはぼろぼろだし、エアコンやナビも古くさい。
いくら洗車して綺麗にしていてもライトは曇っていたし、所々補修するまでも無いような細かい傷がいっぱいついている。

それでもやっぱり、私にとってはじめてのマイカーであるシエンタは、乗りやすくて大好きな車だった。

そっとハンドルを撫でて、ドアを閉めた。

販売員さんと挨拶を交わし、子どもの様子を確認して、私は新しい車に乗り込んだ。
エンジンをかけて、前よりも軽くてスムーズなハンドルをきる。
私はずっと乗り続けてきたシエンタをそこに残して、帰路についた。

新しい車の中には、ラジオから音楽が流れていた。
まだ何処も登録していないナビには、新しい道路も新しい施設もしっかり表示されている。
クッションをしいていない後部座席には、ビニールがかかったままだ。

新しくて、運転しやすくて、私はまた、カー用品店に行きたくなっていたが、とりあえずはそのまま自宅方面に走った。

途中、信号のない交差点に差し掛かった時、対向車が右折を譲ってくれた。
会釈を交わしたその対向車は、私が今さっき残してきたのと同型で色違いのシエンタだった。

さらば、シエンタ。

私の口元には、知らず笑みが浮かんでいた。

やっぱり、きみは、良い車だったよ。

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