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二〇二四ブランデヱの旅

泊木 空

きらきら華やいでいる黒、焦げ茶、緑、水色、ときどき赤、ここはガラス工芸の花畑。私は花をひとつ手にとって、裏側に貼られたラベルを目で読む。――アルコール分:四十度。七百ミリ。ウイスキー。
瓶に入った日本酒、五百円ほどのワイン。友人はそれぞれ手に取りながら話をした。「ここはスーパーで買うよりも安い。ほとんど半額の酒もあるよ。」
「ふだんはどれだけ酒飲むの。」と、聞いてみる。
「一日ロング缶二本。」
 ピースサインが私の鼻の前で誇らしげに突き出された。
「え、そんなに飲む?」
びっくりして友人を見つめると、目を大きくしておどけた顔をした。初めて出会った小学三年生の頃から、十四年前からその表情のつくり方は変わっていない。
友人は神奈川でバイトをしながら一人暮らしをしていて、年末になって実家に帰って来た。もう三年も故郷の外で生活している。髪は短く刈り上げ、服装は昔よりも垢抜けていて、青年らしくなった。私はその変化に密かに見とれていた。 
「おい、こっちの酒を見に来いよ。高い日本酒が並んでるぜ。」
 友人が進む道幅よりも私の肩幅は狭いので、いつでも縮こまっていられた。友人は、私よりもちょっと前を歩いてくれる。ひとりでいるときは、こうはならない。
初めて友人と酒を飲んだときのことをいまだに覚えている。一本の缶ビールをグラスに注いで飲んだが、半分ほどを飲むと、気持ち悪くなって突っ伏してしまった。目の奥で世界がぐらぐら揺れた。彼も顔を真っ赤にして、これ以上は飲めない、と涙声で音を上げる。残りの酒は洗面台の暗い穴が吸い込むように飲んでくれた。
 そんな過去があったけれど、私たちは空いた胃袋の粘膜にアルコールが染み込むことを求めて疼きを感じつつ、どんな酒が旨そうか、日本にはどういう酒があるのか、そんなことを夢想して棚を眺めているのだった。子供のときには入ることすら憚られた酒店に今は嬉々として入店できることも不思議だが、十四年間の付き合いである友人と酒の品定めをしていることにも、甘い郷愁をそそられる。酒瓶に顔を近づける友人の横顔をちらっと盗み見て、幼い日の名残りを見つけることに熱中した。これがあんがい楽しく、しかし洗練された面影を見つけてしまうと、少しだけせつない。
「そういえば、お菓子作るときブランデーを使うんだ。チョコでもケーキでも、フルーツのいい香りがするんだよ。」
「ブランデーか。ブランデーなら、こっち。」
 友人は高そうな日本酒の瓶を棚に戻し、私の横を通る。
 くすんだ蜜色のブランデーが並んでいる。千九十円、二千円、三千五百円。高いものでは三万三千円。フランス、イタリア、スペイン産がほとんどで、中にはラベルの安っぽいものがあり、見ると日本産である。ラベルや瓶の形にも酒造の歴史が香るものかもしれない。しかし、貧乏な私には高い酒も買えないし、飽きずに飲みきれるのかも怪しかった。棚の回りを徘徊していると、可愛らしいミニボトルが陳列された棚を見つけた。スピリッツやテキーラなどが揃えてある。ヘネシーのコニャックも置いてある。瓶で売っているものをそのまま小さくした形である。
五百円。
「これはいい。」
 柑橘と合わせて飲んだり、自分の分のお菓子を作るときに使ったりするだけだから、これくらいで丁度いいのだ。友人にもミニボトルの棚を教えてやると、彼はひときわ度数の高そうな酒のボトルばかり眺めたから、頭の後ろをばしっと叩いてやった。コニャックのミニボトルを一本購入して、居酒屋で晩ごはんを食べた。
さて、酒の肴に近況を話すとなると、私はあと三ヶ月後には社会人になる不安ばかりで、ちっとも楽しい肴になりそうな話題がない。今回は彼の話を聞くことにした。
「次に出すデザインのコンペは、賞金が百万円なんだ。」と友人は言う。「大賞に選ばれれば商品化もされる。おれ、ぜったい選ばれたいんだよ。」
 友人はいまでも夢を追う人だった。小学生の頃と変わらぬ情熱と、少しばかりの脆さが潜んでいるふうに見えた。
彼はときどき黙り込んで、私の顔をじっと見つめた。胸の中で実験を繰り返して得た夢が外気に触れてどんな反応をもたらすのか、気になっているに違いなかった。
 店員が一升瓶を傾けて、透明の日本酒がコップに注がれた。溢れんばかりに満ちて枡の中に溢れてしまい、さらに受け皿までひたひたになった。友人は、唇をやわらかくグラスの縁につけて静かに酒をすすった。
「就職は、いつなんだ?」と私は聞いた。何気ない質問だった。友人は大げさにため息をつくと、「知らない。」と言う。「そんなの知らないよ。コンペが通れば仕事がもらえるし、通らなかったら仕事がもらえないんだから。」
「それなら、いつまでも無職なの?」
 友人はじっと私の目を見つめた。
「おまえだって夢を追う気持ちは分かってくれると思ってたんだが。」と友人は言った。「大学のとき、小説家になるって言って頑張って小説書いてただろ。」
「なあ、さすがに働けよ。まともに働いたほうがいいよ。働きながらデザイン作ることだってできるじゃん。不安定な立場で生活してると、気まずくなって、そのうちに卑屈になっちゃうよ。」
もう言わなくていいではないか、と思っても、私の口は止まらなかった。友人がきらきらしているのが耐えられなかった。いつでも私の隣で同じような人間であってほしかった。私だけ社会人になって、彼は夢を叶えるためにこれからも努力するなんて、つらすぎる。見ていたくない。だから見ていなくて済むように、自分が慣れ親しんだ安心できる言葉で友人の顔を塗りたくる。
友人は日本酒を少しずつ飲んでいる。私がようやく口を閉じたとき、人差し指を突き立てて見せた。
「この指だよ。おれがおれの夢を追っていられるのはこの人差し指があるからだ。指からなんでも生まれてくる。頭に湧くイメージを指が形にしてくれる。おれのことを一番よく分かってくれるのはこの指だけだ。」
 私は友人の指を見つめた。
「おれの生き方が、おまえの価値観に合わないことにいま気づいたよ。」と友人は言う。「むしろ悪かった。こんな話をして不快だっただろ。」
「別にそういうことじゃなくて。」
「どんなことを言われてもおれはこの生き方を止めないよ。止めるときは、頭が壊れるか、この指が切れたときだから。」
 友人は私を見た。遠い、どこまでも遠い目をしていた。「おまえ、まともになったよな。あの頃よりもっと。」

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1,435字

行街で発表された小説です。

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