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食べることは、生きること

深夜にひとり、冷凍ご飯を温めておにぎりを握った。そして、おにぎりを頬張りながらポロポロ泣いた。

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GWは横浜の祖母の家に遊びにいった。
我が親族の後期高齢者達は全員健在で、まぁ健在と言いつつ多少足腰を悪くしたり軽くぼけてきた者もいるが、その中でも一番元気なのが父方の祖母だ。

男兄弟を育て、孫もほとんど男子の中唯一の女子として生まれた私をとてつもなく溺愛している。スポーツマンが多い家系の我が家だが、祖母は料理、裁縫、絵画、ピアノと文化的な趣味に長けており、私に音楽の道を開かせてくれた存在だ。
90歳近くなった今でもピンクのネイルをしたり、髪を染めたり、欠かさず昼の韓国ドラマを見たり、市街地のデパートに祖父とランチを食べに行ったりと毎日楽しそうに過ごしている。

そんな祖母の家に遊びに行くと、きまってごちそうを作ってくれる。私は小さいころからずっとが海老が好きなので、訪問前に電話をすると「エビフライと海老の天ぷら、どっちがいいかい、それともエビチリかい」と聞いてくる。
私はとっくのとうに成人したので、昔は苦手だった豆腐も茄子も多少であれば食べれるようになったが、祖母は必ず電話口で「お豆腐と茄子は入れないでごはん作るね」と言ってくるので、その2つの食材は食卓には登場しない。

今回は急な訪問だったにも関わらず、エビフライを始め何品もの料理を作ってくれた。ただ、祖母本人は「もっと早く連絡くれれば、スーパーで色んな食材を買ってごちそう準備してあげられたのにねぇ」と更に作るつもりだったようだ。

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祖母は本当に料理が大好きだ。長年元日には立派なおせちを手作りしていた。そのたびに祖母は「こんなに作ってあげられるのも今年ぐらいまでかもしれないねぇ」とこぼし、親戚たちはみな来年からはオードブルでも買おうとその流れを促すのだが、その1年後の年末になると祖母はキッチンに立っている。

流石に近年はお重のおせちスタイルではなくなったものの、たくさんの洋食の大皿がテーブルに並ぶ。孫たちは全員お酒が飲める年齢になったが、小さい頃に取り合いになっていた姿が忘れらないのか、未だにからあげや肉団子や山盛りになっている。

日頃も、たくさん作りたい気持ちはあるものの老人の2人暮らしで食べきれる量は分かりきっていて、その気持ちを発散するためか祖母は週に1度宅配弁当の調理ボランティアに参加している。

NPOだか行政だかの事業で、地域の老人に栄養のあるお弁当を安価で宅配する取り組みがあるそうなのだ。ちなみに、同じ地域に母方の祖父母も住んでいるのだが、そちらはかなり足腰を悪くしやせ細っていることから例の弁当サービスを利用しており、父方の祖母が作った宅配弁当を母方の祖父母が食べるという不思議な状況になっている。

最近は、祖父の歯が抜けてしまったため食べられる料理が減ってしまったそうで、「肉団子が作りたいんだけどなかなか作れなくなっちゃったのよ」と祖母は少し寂しそうにしていた。

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そんな祖母と近況を話したりお茶をしたりして、私は埼玉の1人住まいに戻ってきた。

大好きな祖母とバイバイするたびに、あと何度祖母と会えるだろうか、あと何度祖母のご飯を食べることができるだろうかと考えてしまう。私の家はまぁまぁ複雑で面倒な人間たちで家族が構成されていることもあり、たくさん愛して応援してくれる祖母の存在は私にとって親族で一番の理解者であると思う、いわゆるおばあちゃん子だ。

普段あまりホームシックにはならないタイプだが、このGWは寒暖差や体調不良で心身がガタついていたこともあり、良くない想像が出ては消えを繰り返し、どうも寂しくなってしまった。
そんなこんなで布団の中で寝付けないまま時刻は深夜1時半を迎えていた。

祖母の家を出る時に、帆立の煮付けを小瓶で持たせてくれた。
それを思い出し、もぞもぞと動き出したのち冷凍ご飯を電子レンジであたため、帆立のおにぎりをこしらえた。表面に軽く塩をふり、くるっと海苔を巻いた。

少し行儀が悪いとは思ったが、真っ暗の部屋の中、布団の上で握りたてのおにぎりを食べた。
お米が熱くて、帆立の甘辛い味付けが少しだけお米にしみていて、夢中で食べていたら気付けばポロポロと大粒の涙が止まらなかった。
「寂しい」とは少し違う、何で泣いているのかよく分からない気持ちだったけれど、ひとしきり泣いた。

人はいつか必ず死ぬ。大好きな祖母だっていつか死ぬ。
祖母のご飯が食べられなくなるのは怖いし、いつか自分がこの祖母の味を忘れてしまうんじゃないかと思うと怖い。それでも、この25年間たくさん祖母のご飯を食べることができたのも十分幸せなことだし、決して当たり前ではない幸せだ。

母はあまり料理が得意ではないためいわゆる母の味というものがほとんどない私にとって、食べたものが身体をつくること、お腹と心でいただく美味しいご飯があること、そして今の私を料理好きに育ててくれたのは、まぎれもなく祖母の料理の存在があってこそである。

祖母が健康で楽しく暮らしてくれることを願いつつ、また次の長期休みにはちゃんと事前に連絡を入れて、祖母のご飯をたくさん食べに行きたい。

長生きしてね、大好きだよ、おばあちゃん。




〜おまけギャラリー〜

いつだかの新年
1人暮らしに発つ前の夜
おやつも色々作ってくれた

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