最初から全て知ってるなら実験も仮説もいらない
梅雨がまだ少し続きますね。こんにちは、町田です。
▼幸せの追及
生きる理由は究極「幸せの追及」っていうのを、誰かが言ってた。
#言ったの誰ですか
結構そうなんじゃないかって思った。
でも、そんな抽象的な定義って、西に向かったら京都があるっぽい。くらい曖昧な目標で、
どんな乗り物で行くか?誰と行くか?みたいなところは、自分でデザインしなきゃいけない。
#自分の人生の主人公は他でもない自分
だから、こういうやり方やと楽しいかも。こんな目標を持ってたらオモロイかも。って、小さな仮説を立てる。
ほんで、それを証明するために行動する。
でも普通に間違える。思い通りにいかないし、大事な時にミスるし、後悔だってする。
#にんげんだもを
▼じゃあもし人生の最短ルートを案内してくれるナビタイムのおっさんみたいな神様がいつも側にいたら?
ありやな。それはありや。
ありなんやけど、回り道した時にこそ拾える優しさみたいなものは、きっと見落とすよね。
最初から、人生の答えを全て知ってるなら実験も仮説もいらない。
神様に「完璧に舗装した道を用意したよ!これで死ぬまで悩まないよ!」の会に誘われても
「もう少しだけ自分なりにやってみるよ。」と死ぬ直前くらいまで保留させる勇気を持っていたい。
#神様にタメ口
間違いや失敗を避ける努力よりも、それらと共存する考え方が出来ると、これまた幸せの追及なんじゃないですの。