ありがとうと承認欲求
ありがとうの言葉を相手に求めてはいけないのだそうです。
(哲学者:岸見一郎さんの講義より)
これまで露骨に「ありがとう」と言わせたこともありますし、小さい頃から大人になった今でも、求められ言わされてきた経験もあります。
相手に求めるのは要注意だ、と聞きハッとしました。
◯ありがとうがないと不足感
そもそもですが、自分が何かをしたとき、「ありがとう」って言ってほしいな、と思ってしまいます。
少なくとも、私はそう思いがちです。
「こんな状況、自分だったら、絶対にありがとうって言うな〜」と言う場面で、相手が「ありがとう」を言ってこなかった場合、おや?となります。
しかし、「ありがとう」を求めてはいけないのだそうです。
理由は、ありがとうの言葉を求める裏には、相手に認められたいという承認欲求があるから。
承認欲求、そんなこと思ったこともありませんでした。
でも確かにその通りです。
ありがとうを言われることで、認められた気持ちになり満足していました。
◯それをしたのは「私!」アピール
例えば、そこで寝ている人に毛布をそっと掛けたとします。
その人が起きて、自分に掛かった毛布に気づきます。
「あぁ誰かが、この毛布を掛けてくれたんだ…」と。
そして、誰が掛けてくれたかを尋ね、初めて「ありがとう」となるのが通常の流れだとします。
ところが、承認欲求が強い場合には、
相手が起きるとすぐに
「その毛布、私が掛けてあげたんだよ。風邪引くと思ったから」
などと言い、相手が尋ねる前に、自ら先に言うのです。
そして、当然のように相手からの「ありがとう」の言葉を待ちます。
これが承認欲求の表れです。
◯承認待ちにならない
自分もそんなことやっていないか、反省しました。
そういえば自分は、良い仕事をしたとき、相手からの「ありがとう」を待っていることがあります。
承認欲求爆発してました。
ありがとう待ち=承認待ち
そういうことになるのでしょうか。
自分でもよくわかりますが、承認欲求中心で生きると、辛いことが多くなります。
他人軸で生きることになるのですから。
難しいさじ加減ですが、「ありがとう」は人間関係の潤滑油なので、なくてはならない言葉です。
それでも、相手の「ありがとう」があってもなくても、自分が変わらないようにありたいものです。
そのためにまずは、
自分自身が「よくやった」と自分を承認する
自分の価値を認めてあげる
プラス、
相手の課題を手放す(ありがとうと言うか言わないかは相手の課題)
この基本に立ち戻りたいと思います。