モノづくり、楽しい
思えば小さい時から「そうぞうする」という行為が好きだった。
小説を読んでその情景を思い描き、漫画やアニメを見てキャラクターたちの心情に想いを馳せる。
自分が物語の一部になったような感覚。此処ではない何処かに旅に出るような高揚。
その道のプロたちが描き出す想像の世界は、いつだって僕の胸をワクワクさせた。
僕はそういった世界を自分でも生み出したくなった。それはあまりにも自然なことだった。
授業なんてそっちのけで教科書の隅っこに自らが考えたキャラクターを描いて、ノートの反対側から拙い文章でストーリーを書き殴った。
幼い僕は「想像」が「創造」になっていく喜びを知った。
全ては思い描くまま。
理屈なんて関係ない。
誰にも邪魔されない自分だけの世界。
「創造」とは即ち自分の脳内に広がる世界を現実に表出させる行為なのだと、あの頃の僕は無自覚に理解していた。
いつしか僕は心無いパンピーたちに”厨二病”という不名誉かつ安易すぎる画一化レッテルを貼られてこういった類の創作は無様にもやめてしまったけど、あれはきっとかけがえのない、とても美しい行いだったと今では思う。
時が経って、僕は音楽を作り始めた。
それは久方ぶりの「創造」だった。
高校生の時、バンドメンバーにオリジナル曲をやりたいと言われたのがきっかけだった。
そのとき僕は「あ、そっか。音楽って自分で作れるのか」と他人事のように思った。
音楽自体は昔からやっていた。
やる・やらない を選択した覚えすらない。
物心がついた時から親に言われるがままピアノを弾いていた僕にとって、音楽は身近にあって当たり前のものだった。
でも当時の僕からすればそれは先人が作り上げた既成品をなぞるだけの、面白くもなんともないただの模倣行為だった。
正確に、ただひたすら正確に。
楽譜と寸分違わずに指を動かす。
先生と審査員が求めるものを完璧に披露するために、一日も欠かさず楽器と向き合う。
楽しくなかった。
そこには「そうぞうする」楽しさなんて微塵も無かったから。
使い所の分からない技術と道半ばで心が折れてしまった罪悪感だけを残して、僕は一度音楽を辞めた。
楽しくないことを続けていてもしょうがない。義務感でやる芸術ほど虚しいものなんてない。
しかしだ。
どうやら音楽って、自分で作れるものらしい。
ちょっとした衝撃だった。
考えてみればあらゆる芸術に作り手が居るのは当たり前のことで、もちろん音楽も例外ではない。
しかし僕は「音楽を作る」という行為が、なぜかとても高尚なものだと思っていた。
自分はあくまで演奏者で、作り手は別次元にいる存在だと勝手に思い込んでいた。
幼い頃からの思い込みっていうのは恐ろしい。
当時からボカロを作っていた軽音部の先輩に曲の作り方を聞いたら、どうやら音楽というのはパソコン一台あればフリーソフトで作れるらしいということが分かった。
多分、やれば出来るだろうなとは思った。
自分には既にその技術があることもなんとなく分かっていた。
久しぶりに本気で向き合う音楽。
右も左も分からない打ち込みソフトと格闘しながら、マウスでポチポチとMIDIの音符を打ち込んでいく。
本当に何も分からなかったけど、それはとてもとても楽しかった。
脳内に浮かんだ音楽をカタチにしていく。
想像を現実に具現化させていく。
MIDIで打ち込んだショボい音色のドラムがPCのスピーカーで思い描いたとおりにエイトビートを刻んだその瞬間、やたら感動したのを覚えている。
それはとても久しぶりに味わう、モノづくりへの快感だった。
他の誰でもない、僕が作った曲。
この世でまだ自分しか知らないメロディ。
そこにあったのは紛れもなく、僕が求めていた「創造」だった。
脳内に広がる自分だけの世界を、現実に表出させる事で作品へと昇華させる。
作曲に夢中になるまでに時間はかからなかった。
教科書の隅に思いついたコード譜をメモして、ノートの端っこに歌詞を書き殴る。
家に帰ればギターを弾いて、朝までパソコンにかじりついてまたぽちぽちと音を打ち込む。
あの頃の僕とやってる事は変わらなかった。
いつだって僕は、ひたむきにモノを作っていたかっただけだった。
だから多分、別にそれが音楽である必要は必ずしも無いんだと思う。
僕が人より秀でていて、脳内で思い描くものを一番上手く現実に表出させる技術を持っているのがたまたま音楽だったというだけだ。
もちろん音楽は大好きだし、多分一生付き合っていくのだろう。
夢中になって続けてたら気付けばその音楽で金を稼ぎメシを食ってるんだから、きっと僕の創造する作品たちはそれなりのものとして認めてもらえているんだと思う。本当に有難い話だ。
だから僕にとって音楽に取って代わるものは恐らく今後も現れないし、僕はこれを死ぬまで誇りとして生きていくんだろうけど、自分の根底にあるこの衝動はやっぱり音楽そのものに起因するものではないと今でも思っている。
僕が想像から具現化させた作品たちが受け止められて、解釈されて、誰かの一部になっていく。
多分僕はこの一連の「創造する」という行為を、いつまでも楽しくやり続けていたいだけなんだろう。
僕は死ぬまでモノを創り続ける事で、この世界に相対していく。
そういう生き方をしていたいだけなのだ。
人生、楽しいな。
楽しいことだけやってこうな。