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【介護仕事百景インタビュー記事】人生に、医療をそっと乗せてもらう

※本記事は町田市の介護・福祉教育の専門校、湘南ケアカレッジ様が発行している広報誌「介護仕事百景」のインタビュー記事の転用です。

●湘南ケアカレッジ
https://www.shonancarecollege.jp/
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「患者さんの人生に、医療をそっとのせてもらえるようになりたい」

ケアクルー(介護士)の上原さんは笑顔でそう話します。長い人生のなかでは、病気にかかったり、ケガをしたり、病院で過ごすことも時にあるでしょう。もしものその時、入院したからといって、これまでの生き方をすべて変えるよう強いるのではなく、その不安や苦しみでつぶれそうな心を支え、ともに歩む医療をつくりたいと、彼女たちは日々奮闘しています。

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廃院の危機から、スタッフが蘇らせた病院


ここは町田市小野路町にある、一般財団法人ひふみ会「まちだ丘の上病院」(通称:まちおか)。医療療養78床を抱え、珍しいことに、病院の内に重度心身障害児(者)介護施設の「一二三学園(ひふみがくえん)」が併設されています。その名のとおり、丘の上に建ち、野津田公園や日本聾話学校などが近隣にあります。

2017年11月に新たな運営のもと歩み始めた「まちだ丘の上病院」は、それまで「南多摩整形外科病院」として、脳性麻痺(出生前から生後間もなくの間に、脳に何らかの原因で傷がついたことによる後遺症)による重度身体障害児(者)の治療や手術を行う専門病院でした。

全国から患者さんが集まる名医であった院長の高齢と病が重なってしまいましたが、障害者の機能改善医療を引き継ぐ医師が見つからず、廃院もちらつく状況になってしまいました。しかし、当時の理事や事務長の努力があり、鎌田實先生を所長とする地域包括ケア研究所との出会いがあり、新しく運営を引き受けてくれることになりました。

整形外科の患者さんが退院し、一二三学園の園生を除くと6名まで減少した患者さんを増やすため、看護師が手分けして近隣の病院を回り、内科を中心とする入院を希望してくれる患者さんはいないかと営業をしました。

そうした働きが功を奏し、「まちだ丘の上病院」として息を吹き返すことができたのでした。スタッフ自身が存続を強く願い、考え、動いたことが病院を生き返らせたのです。そのまるで池井戸潤原作のドラマのようなストーリーに、私は思わず手に汗握ってしまいました。

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まちだ丘の上病院に新しく支援をした一般社団法人地域包括ケア研究所では、ベストセラー「がんばらない」で有名な鎌田實氏が所長を務め、『あたたかな地域社会を実現する』をミッションに掲げ、地域を支える医療者を育てる活動を広めています。まちだ丘の上病院のエントランスには、2017年の新たな門出を祝した記念の一枚が残されています。

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病院の内にある重度心身障害児(者)施設


併設されている一二三学園の歴史は古く、1950年代の後半にに和田博夫医師を中心とした国立身障センターの仲間たちが、当時行き場のなかった障害児を集め、機能訓練や生活訓練を行うキャンプを開いたのが始まりです。その後、通所施設ができ、1960年には入所施設に替わり、南多摩整形外科病院(まちだ丘の上病院の前身)が出来たことを機に、東京都保谷から町田に移転し、現在の病院に併設される重度心身障害児(者)介護施設になりました。

一二三学園では、園で生活しているご利用者さんを園生と呼んでいます。10歳で入園し、56年間、一二三学園で暮らした園生さんもいたり、一人ひとりの園生さんは人生の長い時間を一二三学園で過ごしています。園生さんは運動機能の障害から、自分専用の車いすを使って生活されています。てんかん発作や摂食嚥下障害などがある園生さんもおり、医療的な面のサポートを必要に応じて受けながら、現在は11名の方が暮らしています。

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併設されていると聞くと、別館のように建物が分かれているかのように想像しますが、まちだ丘の上病院の病室の一部(8号室と13号室の2部屋)が一二三学園ですので、つまり病院の中に一二三学園があるということです。

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まずは目を合わせてみる


「園生とコミュニケーションをとるとき、どうしたら良いのか分からなければ、まずは自分の腰を落として、目を合わせることが大事です。あとは、手を握ったり、さすったりしているだけで、コミュニケーションは自然と生まれます」

一二三学園で働くケアクルー主任の前田さんは、太陽のように明るい笑顔を向けてそう言います。幼稚園教諭としての経験のあった彼女は、障害のある子どものケアの仕事だと思って飛び込んだ一二三学園で、立派に成人している園生さんたちと出会い、最初は戸惑ったのだそう。

「何かを叩く音や唇を振動させる音が好きな方が、工事車両の爆音を聞いて、目をキラキラと輝かせて嬉しそうにしているのを見かけたり、自分の名前と『おやつ』というワードだけを聞き分けて、嬉しそうに声を上げてくれる園生がいたり、小銭が入った財布を持ったケアクルーを見つけると、階下の自販機でジュースを買えるのだと思い込み、エレベーター前へと猛スピードで車いすを漕いで駆けつける園生がいたりします。一人ひとり異なる園生の喜びや楽しみを増やしたいと思っています」と前田さんは語ります。

ちょうどこちらを興味深そうに見ていた園生さんに向けて、彼女が唇を振動させる音を鳴らすと、園生さんは身を乗り出して、楽しそうにその音を感じていました。日々の生活のなかに、楽しいと心躍らせる時間を自然な形で織り込んでゆくことが、園生さんの楽しみを増やすということなのでしょう。

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家族のようになっていく


女性部屋の8号室を訪ねると、大きめの部屋の壁をぐるりと囲むようにベッドが並んでいました。ちょうどお昼時だったこともあり、ゆっくりと食事を召し上がる園生さんたちの真ん中で、ケアクルーが声をかけたり、園生さんの持つスプーンに食事を載せ直したり、あちこちで声が上がったり、その光景はまるでにぎやかな大家族のようでした。

「一二三学園では園生とケアクルーが家族のように接しているためか、とにかく家庭的な雰囲気があります。最も近くに入職した方でも勤めて3年目になるケアクルーで、長く勤めるケアクルーですと数十年選手が何人もいます。7年目の私はまだまだ若手です」と前田さんは言います。

「ケアクルー同士のチームワークは良いです。『午後の仕事は、午前中に時間があったから済ませておいたよ』とケアクルー同士で声を掛け合って、余裕を持って園生と関われるようにする文化ができています」と前田さんは続けます。

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気候の良い時期には、部屋から直接つながる広いベランダにて、ひなたぼっこを楽しむのが園生さんたちの日課だそう。

働いていたときの最も一番好きな時間も、こうしてご利用者さんたちとひなたぼっこをする瞬間であり、その温かな記憶がよみがえってくるようでした。太陽の下にいると、働くケアクルーとそこで暮らす園生さんとの境目が見えなくなり、一二三学園で共に生きている皆がまるでひとつの大きな家族のように見えました。

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あたたかな医療とは


「特別養護老人ホーム(以下、特養)で働いていたとき、病院に入院してADL(日常生活で必要な生活動作)が低下して退院してくるご利用者さんや、特養では医療的な処置を受けることができず、退院できないご利用者さんを見てきました」

病棟ケアクルー主任の上原さんは、ご利用者さんたちが抱いていたであろう不甲斐ないと思う気持ちを慮ります。また、「病院だから」、「施設だから」と、その方の都合とは関係ないところで、一歩引いて構えてしまっている施設や病院へのもどかしさには、私も思い当たることがあります。

療養病棟に入院している患者さんは、がんの末期の方や呼吸器、点滴などの医療処置を続けながら療養している方々です。その肌はとてももろくなっており、些細な衝撃でも皮膚が破れ、剥離してしまう可能性があります。まちだ丘の上病院では、現在試験的にベッドに横になってもらったまま、患者さんを脱衣所まで案内し、移乗の回数を減らしています。この工夫で、これまで4回だった移動回数が、2回に半減することになります。

上原さんがまちだ丘の上病院に入職を決めたのは、病院の掲げるクレドに心から賛同できたからだと言います。クレドとはその企業が何を大切にしたいと思い、何を根拠にどう行動するのかを示した約束のこと。まちだ丘の上病院では「あたたかな医療」、「共に歩む医療」、「確かな医療」をクレドにしています。

少しでも患者さんの身体への負担を少なく、安楽に過ごせるようにとの工夫からは、相手の身になって考える血の通ったあたたかさが感じられました。

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「この人について行きたい」と思える人に出会えた


「介護する上で何が正解なのか、自分のなかでまだ答え探しをしています。仕事は楽ではないけれど、上原さんと働いていると、本当に患者さんの身になって接していることが分かります。また、どういう病院にしていきたいのかその考えを聞くと、学ぶことがたくさんあります。『この人について行きたい』と思える人に出会えたのが、まちだ丘の上病院で働いて一番良かったことです」

病棟ケアクルー副主任の佐野さんは嬉しそうにそう話します。どう介護すべきか迷いながらであっても、その場所で患者さんや同僚、先輩、さまざまな人に教えてもらい、学びながら大切に育っていけばいいのです。そうした意味でも、どういう人と働くかが結果をつくり、自分が心から尊敬できる人と支えあいながら働ける経験はとても幸運なことだと思います。







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