
N35°34’34.14” E139°33’08.17”うちはもうずっと何代も住んでて、小さいとき、わたしの家は茅葺きでしたね。
山内中学校のすぐしたのほうに住んでるんですが、そこで生まれ育って、母校でもある山内中学校の校庭が、小さい頃からずーっと自分の庭のような、いつもいる場所、みたいな感じですね。特に小さいときは近所の友だちと、ほんとによく遊びいったりしましたね。
山内中学校ってすごくひろいんですね。たぶん、横浜市でも指折りのひろさがあるんじゃないかなと思うんですけど、実は山中(やまちゅう)は昔、戦争の頃、学校というよりも、兵舎があったんですね。なんか演習場が近くにあったみたいで、陸軍だったかな、兵隊さんがいるような場所でした。いまはきちっと整備されちゃってるのでわかからないんですけど、実は校庭のいまテニスコートから防災倉庫があるところまではずっと崖になっていいて、そこは昔は、ぼこぼこ穴がいっぱいあいていたんですね。で、それが防空壕になってて、小さいときはよくその防空壕のなかにはいって遊んでましたね。自分たちの秘密基地みたいな感じで。穴は、いろんな、おっきなやつもあれば、小さいやつもありました。くぐってはいるんで、けっこうよごれたりもするんですけど、敷物をちょっと敷いて、食べ物を持っていってそこで食べたりして。
で、中学校のとなりにある第八公園は、実は昔、中学校の校庭だったんです。いま、その中学校と公園のあいだに道路があるんですけど、昔は道路がなくて坂になってて、離れみたいな校庭になってました。
わたしが生まれた昭和36年っていうと、街はまだぜんぜん未開発というか、東北の田舎です、っていってもまったく違和感がないぐらいでした。
わたしが幼稚園のときはまだ山のなかみたいで、獣道のようなところをあがってって山中(やまちゅう)にいってました。そこはアスファルトどころか自転車もとおれないような道でしたね。なんか雨が降ると真ん中に水が流れちゃうような。
うちはもうずっと何代も住んでて、小さいとき、わたしの家は茅葺きでしたね。幼稚園にはいるかはいらないかくらいのときに、屋根の葺き替えっていうのをやりました。藁をみんな落として。屋根もこう、瓦とか、スレート葺きとかいろいろありますけど。茅葺きだとなんかいかにも古い家というイメージがあってわたしはすごく嫌いでした。小さいときは、早く変えてくれたらいいなと思ってました。家を建て替えるんじゃなくて屋根を葺き替えるってきいたときには、ちょっとがっかりしたなっていう思い出がありますね。まぁいまからするとすごく貴重なんですけど。
昔は道路もそんなに舗装されてないので、雨が降ると道がぬかるんで、だいたい駅につく頃に靴がドロドロになっちゃうんですね。それで東京のほうに通勤しなくちゃいけないんですけど、それ見てて、どこかからか調達してきた下駄箱を、わたしの父が東急さんに寄付したっていう話がありますね。
みなさん駅の下駄箱で、長靴とかよごれた靴を綺麗な靴に履き替えて東京のほうにいったとかね、そういう話を父からききましたね。
このおはなしは2016年No.003号に収録されています。冊子をご希望のかたはご連絡ください。650円(送料込み)でお送りします。「街のはなし」2020年 No.007へのサポートも大歓迎です。プロジェクトをサポートしていただけましたら大変励みになります!どうぞよろしくお願いします。
いいなと思ったら応援しよう!
