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街のはなし番外編  宝石研磨の街 ドイツ イーダー・オーバーシュタイン N49°42'10" E7°19'45"

「無数の天使が空を飛んでいったよ!」
「ひとり、またひとりって、どんどんと、この空を向こうのほうに。きっと、コロナウィルスで亡くなった人たちの魂を連れていったんだと思う。」

クルド難民としてドイツにやってきた家族の子供が話してくれた。2015年に100万人を超える難民を受け入れたドイツだが、現在彼らは国内のいろいろな街の空き家に移り住み落ち着いているとのこと。彼らも2年ほど前に越してきたそうだ。

兄弟はふたり揃ってそれを見ていたらしい。そして話は、トルコを経由してドイツに来るまでに見た戦争の話に発展し、その道のりの過酷さを断片的に率直に擬音語混じりに話していて、言葉わからないわたしにでさえ緊迫した状況が伝わった。それから突然、「ほら!」と空を指差して、「神様がいる!あれは大きな木で、魚もいる!」と気まぐれに話は移りかわる。兄弟は、どんどんと形をかえる雲からいろいろな言葉や風景や神にまつわることを読んでいるということがわかった。わたしが今朝うつした朝5時から6時までにどんどんと移りかわる日の出の空の写真を見せたら喜んでいた。

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トルコ人は天使がいると信じている、というような記事をどこかで見たことがある。きっとクルド人も同じなんだろう。確信をもった眼差しで、天使の羽がどんなふうに生えていたかも説明してくれて、わたしは実は動揺していた。さらにところどころしかわからないドイツ語を英語に訳してもらいながら聞いていたから混乱もしていた。本気で天使のことを語ってるの?と。
でもとにかく、大量の天使が山間の街の狭い空を横切っていったらしい。

彼らの信仰心は日本人なんか比にならないほど厚いんだ、と知った。同時に神様の話は万国共通で興味深く聞ける面白い話のひとつだとも思った。

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この出来事は先週5日ほど滞在した、18世紀頃まで宝石研磨産業で繁栄していたイーダー・オーバーシュタインという街でのことだった。イーダー・オーバーシュタインの宝石の歴史を遡ると、500年以上前、14世紀中頃に鉱山労働者がアメジストと瑪瑙を発見したことからはじまるそう。しかしおおくの歴史家は、採掘がはじまったのはもっと前で、最初の採掘活動はローマ時代に遡ると考えているとのこと。
イーダー・オーバーシュタインは、イーダーとオーバーシュタインというふたつの街が1933年にナチスによって強制的にひとつに統合されていて、地域的に、ヘナ川上流のイーダーは宝石研磨工業と販売業者が、下流のオーバーシュタインにはイーダーで磨かれカットされた石をアッセンブルするための金属金具加工工場がならんでいたらしい。宝石研磨は、街の中心を流れるヘナ川を動力としていたため、低コストでの研磨が可能で、労働賃金の安い他国へ産業が広がったにもかかわらず、長きにわたって価格面技術面ともに他国との勝負にも勝ち抜いていたらしい。
18世紀まで豊かに採れていた瑪瑙とジャスパーが取り尽くされ枯渇し、石を求めておおくの業者や職人がブラジルへわたったのをきっかけに、宝石産業のグローバリゼーションがはじまったようだ。その後、ブラジルから瑪瑙がイーダー・オーバーシュタインに持ち帰られるようになり、また、ドイツ人たちから石の鑑定方法や宝石研磨方法を学んだブラジル人がアメリカに渡り、ネバダ州アリゾナ州へと知識と技術が伝播したとのこと。そして19世紀終わりまで世界中の石が、腕利きの職人に加工されるために大量にイーダー・オーバーシュタインに集まってきていたらしい。そして以前ほどでなくても、今もなお、世界中の宝石市場から原石を輸入するディーラーが繁栄を続けている。

「わたしが働いていた宝石販売業者はコロナ禍で事業を縮小せざるお得なくて、わたしも職を失っちゃったけど、あそこの地下倉庫にはこの先5年は売り続けられるくらいの大量のあらゆる種類の宝石があるのよ。」地元の女性が言っていた。

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わたしが滞在していた家のお隣には、昔ダイヤモンドの研磨師だった80代のご老人(ものすごくお元気でご老人というのには申し訳ないほど)がいて、親切にも宿泊先の家主が、街の歴史を知りたがるわたしにそのご老人とのお茶会をセッティングしてくれた。
ある笑い話を聞いた。
昔、若い女学生のグループが宝石研磨の職場見学に来たときに、職場のチーフが研磨の仕事のタフさや体への粉塵影響などについて説明し、女学生が「平均寿命は?」と質問したらしい。そのチーフは「40歳」と答え、その研磨師だったご老人は当時39歳。「えっ?」っと思ったという話。あと面白かったのは、なぜ水量の少ないヘナ川の水で宝石研磨ができたのか不思議に思って聞いたところ、上流にダムのような堤防があって、夜間に水を溜め、朝、工場が開く頃に放水して勢いよく水車をまわし、その水車から直接、職人たちのそれぞれの研磨機械に力が届くようになっていたそうだ。それが今も同じ機械を使っているというからびっくりだ。今回はそこまで見学に行けなかったからそれは次回に。
お土産に、と、そのご老人の家に山とあるという瑪瑙や水晶の、いかにも60年代70年代に作られたであろう首飾りを4本もいただいてしまった。

ヘナ川の、オーバーシュタインより少し下流に、石採りに連れていってもらった。それから毎朝自転車でそこに通った。瑪瑙は結構見つかった、水晶もジャスパーも発見した。どれも職人が加工した痕があり面白い。良い部分だけ使っていらないところはポイッと川に投げるらしい。世界中の宝石がイーダー・オーバーシュタインの宝石業者の暗い倉庫に眠り、河原では宝石になりきれなかった石たちが拾える。あ、あと、オーバーシュタインのヤコブ・ベンゲル財団が保存維持している金属加工工場を見学に行ったとき、わたしがまだ金属加工の仕事をしていた90年代終わりに使っていた20トンだか30トンだかのプレス機とそっくりなのがあった。見学ツアーでアルミニウムにコインの模様をプレスした。なんだか時間を超えて昔のわたしに再会したような気持ちになった。

その短い旅から戻って数日経ったけど、まだわたしの頭の中はまだその街を浮遊している。

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テキスト:街のはなし・谷山恭子 


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