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17.空港
私はフリーのイラストレータ。一日中、パソコンの前で仕事をしている。
家で仕事をするのは好き。一人でいるのも嫌じゃない。
会社に勤めていた時は、朝の満員電車も会社の人間関係もストレスでしかなかった。
でも、時々、ずっと家にいるのも疲れてくる。人と接触したくなる。
友だち? そう……いないわけじゃないけど、この頃は話していても気持が重くなる。年齢のせいかも、中学生とは違う、明日を考えるのが、少しづつ辛くなってきた。
知らない人の方が気が楽。一日だけ、一度限りのアルバイト。面白そうなアルバイトを選んで働いてみる。
神社の巫女さん、犬の散歩。遺跡発掘、ドラマのエキストラ。レストランの覆面調査、展覧会の受付。
一日だけだから、失敗してもだいじょうぶ。次は止めればいい。
今日は、アメリカから帰ってくる娘を出迎えに、空港に一緒に行って欲しいという依頼。依頼主は年配の女性。
「空港って人で一杯でしょ。広くて、どこに行けばいいか不安で。それに、今日はクリスマスイブだから。すごい混んでるんじゃないかしら。もし、娘とはぐれたらと思うと」
ふっくらとした体形の婦人は、身振り手振りを交えて、私に話した。
娘はアメリカの大学に行っていて、クリスマス休暇を利用して、日本へもどってくるのだという。
婦人とは、渋谷で待ち合わせ、タクシーで空港に向かった。
見るからに高級そうな赤いコートを着て、指には大きな指輪をつけていた。
空港は、確かに混雑していた。クリスマスイブ。出発ロビーも到着ロビーを大勢の旅行客でごった返していた。
途中で雪が舞いだした。積もるほどではない。
幸い、飛行機は、トラブルもなく順調に到着していた。
到着時間より一時間以上早く空港に着いた。空港内のカフェに入った。
「来年には卒業らしいけど、日本に帰って来ないで、あちらで就職するらしいの。ニューヨークの何とかストリートとか。よく分からないけど、お給料はいいらしいけど、だいじょうぶかしら。向こうの会社って、すぐに辞めさせられるんでしょ」
婦人は、一人で話し続けた。私はカフェオレのカップを両手で持ちながら、時々うなづいていた。
海外留学、外国で就職、ウエディング、結婚。何だかキラキラとした人生。
自分と比べると……いや、比べない。私は私。知らない人は知らない人。他の人の人生は私とは関係がない。
日本の猫はきっと、海外に住みたいなんて思わない。
でも、話を聞いているのは面白い。
飛行機の到着時間になり、私と婦人は、カフェを出て、到着ロビーに向かった。
飛行機が到着しても、すぐに乗客が出てくる分けではない。早くても三十分ぐらいはかかってしまう。混んでいると一時間ぐらいかかるときもある。
到着ロビーで待っていると、空港のアナウンスが、ニューヨークからの便が、雪のため、一時間遅れるという放送が流れてきた。
「まだ、しばらく時間がかかるみたいですね」
立って待っているのはつらい。私は空いているベンチをさがし、婦人を誘った。
婦人は、ベンチに座り、軽いため息をつくと、
「娘は一人っ子なの」と話し出した。
「夫は娘が、まだ幼稚園のとき、病気で亡くなったの」
実家は裕福で、婦人と娘は実家に戻り、婦人の両親と暮らした。
婦人は、父親の紹介で仕事に出たようだ。再婚の話もでたが、娘のことを考えて、止めたらしい。
娘は、ピアノとバレーを習い、送り迎えはおばあちゃんがしてと、そんな話をポツポツと話した。
私は時々、時計を見ながら、飛行機の到着を待った。
ニューヨークから便は、一時間遅れで到着した。
私と婦人は到着出口に行き、婦人の娘が出てくるのを待っていた。
乗客が一人一人、出てきた。男性、女性、家族連れ。若い女性が現れるたびに、婦人を見たが、婦人は首を振るばかりだった。
出てくる人が、ほとんどいなくなり、明らかに、ニューヨークからの乗客はいなくなった。
何かトラブルがあって、出るのが遅くなっているのかもしれない、そう思って、さらに三十分ほど待ったが、婦人の娘は姿を現さなかった。
「携帯電話は?」
婦人は首を振った。連絡はないらしい。
カルフォルニアからの便が一時間後にあり、その便を待ったが、やはり娘の姿はなかった。
夜、九時。アジアからの到着便を残すだけになっていた。
婦人は、肩を落とし、憔悴しきった様子だった。
「もしかしたら、娘さん、日を間違えたんじゃないですか。二月二十日じゃなくて、二十一日とか、アメリカとは時差がありますから。それとも、雪で、飛べなくなったとか、なにか事情があって、飛行機を変更したとか」と言うと、婦人は、
「……そうね。あなたの言う通り、日が違うの」と話し出した。
「日が違うのよ。約束したのはもっと前なの。ずっと前。もっともっと、ずっと前。なにしろ、今から十年も前なの」
「十年前?」
「十年前、十年前の三月十日。あの子はノースウェスト765便で帰ってくるって言ったの。三時に成田。迎えにきてねって。約束を破る子じゃないの。それから、毎年、ここへ来るの。毎年、毎年、必ず来るの。いつかきっとあの子が 帰ってくるはずだから。だって、他に方法がないのよ。行方は、わからないし、連絡もないし、だから、毎年、祐子が帰ってくることを信じて三月十日には、ここへくるの。バカみたいでしょ」
「いえ」
「ごめんなさいね。つまらない仕事を頼んでしまって。だって、こんな所で一人で待つなんて私には耐えられそうにないから、寂しくて、寂しくて、一人で待って、そして、一人で 帰るなんて」
「そうですね」
「さあ、帰りましょ」
「いいんですか」
「ええ。今年もこれで終わり。また、来年来ます。その時は、お願いできるかしら」
「えっ?。ええ、私でよかったら」
ベンチから立ち上がり、帰ろうとすると、「お母さん」と呼ぶ声が聞こえた。
まさか。私が振り返ると、若い女性が手を振っていた。
彼女の視線の先には……。婦人ではなく、彼女の母親。
小説なら、十年ぶり、奇跡的に再会を果たした二人は、と続くのでしょうが、現実には、そんな奇跡はなかなか起こらない。
婦人の娘は、今、アメリカでどうしているのでしょう。
いえ、もしかしたら、娘が留学したというのも……。娘がいるというのも……。
人は、誰でも来ない人を待っているのかもしれません。
私も、毎年、四月の十日には、公園のベンチに行って、ある人を待ちます。
あなたは? 待つ人はいませんか?。
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