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5.春

ここだけの秘密ですが、春は少し恥ずかしがり屋さんなのです。
 雪の季節が終わり、冷たい北風にかわって、おだやかな南風が暖かさを運んでくるようになると、春は空からおりて来て、冬とこうたいします。
 冬は気むずかし屋のおこりん坊で、春がちょっと早くおりていくと、
「まだ、お前の季節じゃないぞ、帰れ帰れ」
と、おこって、雪まじりの冷たい息を吹きかけて、春を空に追い返してしまいます。
 冬の季節、春が空から下をのぞいてみると、子どもたちは、歓声をあげながら、スキーやスケートを楽しんでいました。
 ほっぺを真っ赤にして、雪だるまを作り、雪がっせんをして、雪で作ったかまくらの中で、お餅を焼いておいしそうに食べていました。
 家の中では、暖かいコタツの周りに集まって、ミカンを食べながらカルタ遊びをしています。
 冬はクリスマスにお正月、雪祭りと、ワクワクする、もよおし物がいっぱいです。
「もしかしたら、私なんてだれも待っていないんじゃないかしら」
 春は、ちょっと心配になってしまいました。
「ほらほら早く行きなよ。次はぼくなんだからさ」
 せっかちで自信満々の夏は、
「早く行け、早く行け」と、春を追い立てます。
 おしゃれで、少し気取り屋の秋は、
「行きたくなかったら、止めてしまえば」と、すました顔で言います。
「どうしよう……」
 いつ空からおりていけばいいのでしょう。春は、ますます迷ってしまいました。

 冷たい北風が止んで、南風が頬をなでていきました。
「やっぱり、行ってみよう」
 春は、おそるおそる、空からおりていきました。
 山には、まだ雪が残っていました。日かげには雪がかたく積もり、地面は冷たく凍っています。
 森の中のクマもリスも、ぐっすり眠っていました。
「まだ、早かったのかな」
 草や花は土の下で体をかたくしています。小川には氷がはり、魚は水の底でじっとしていました。
 春は町に行ってみました。人々はコートのえりを立てて、寒そうにうつむいて歩いていました。
「やっぱり、まだ早すぎたんだ」
 春が空に戻ろうとすると、
「おい、春」と、冬が声をかけました。
「何をしてるんだ。もう、待ちくたびれたぞ」
「でも、みんな、まだ、冬の姿をしているし、冬は雪が降って、氷がはって、スキーやスケートをみんな楽しんでいて、私なんて、誰も待っていないみたいで……」
 春は、小さな声で自信なさそうに言いました。
「何を言ってるんだ。みんな、お前を待っているんだぞ。ほら、耳をすまして聞いてみろ」
 冬に言われて、春は耳をすませました。
「春になったら、小学校に入るんだ」
 真新しいランドセルを抱えた子どもの声が聞こえてきました。
「春になったら、今年もお花見をしよう」
 公園の桜の木を見上げる、おばあさんの声です。
「春はまだかな」
 お母さんが花壇に水をやっています。
「春はまだかな」
 野原からも森からも聞こえてきます。
 草は土の下で芽を出す用意をしています。木はつぼみを抱え、虫は羽を整えて、子どもも大人も、お父さんも、お母さんも、おじいさんも、おばあさんも、みんな、
「春はまだかな、春はまだかな」と、春を待っています。
「聞こえるか」
 冬が春に言いました。
「うん」と、春はうなずきました。
「冬の次は春、春の次は秋、秋の次ぎは、また冬のわしだ。四つの季節は順番に回って、草や木や動物を育てている。春が来なければ、みんな困ってしまう。さあ、わしは帰るぞ。あとは、お前の仕事だ。しっかりな」
 そう言うと、冬は空に戻っていきました。
 春は、「うーん」と、大きく伸びをしました。
 さあ、これから春は大いそがしです。暖かな風をふかせ、柔らかい雨を降らせて、草や木が芽をだし、花を咲かすのをお手伝いするのです。
 森の動物たちが冬の長い眠りから目を覚ましました。みんなコートを脱いで、軽やかに歩き出します。子どもたちが歓声を上げます。 
 春は、ワクワクする始まりの季節です。
 

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