「喪失感」って、頑張ってきた証だ
今いる場所を自分で選んだはずなのに、辛かったり、苦しかったり、やるせない気持ちになることがある。
わたしは、今年の1月に仕事を辞めて、夫の海外赴任に帯同している。
メンタル的に、ものすごく波があった。今もあるけれど、さざなみ程度になったので、冬に波浪警報がでた日本海くらい大荒れのときの話を、書いておきたい。
もし、配偶者や家族の事情でキャリアを中断することになって、悩んで、苦しんでいる人がいたら、このnoteがほんの少しでも、助けになると嬉しい。ミジンコくらい、ほんの少しでも。
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わたしは、仕事が好きだ。どちらかといえば、キャリア志向だと思う。働く自分を疑わなかったし、これからもずっと、働き続けるんだと思っていた。
でも、同じ会社に同期入社した夫と結婚して1年後に、夫の海外赴任が決まった。3年間。ついて行くなら、退職しか道がなかった。もう、本当に迷いに迷って、結果、ついてきた(ここらへんの話しは、自己紹介noteをご参照ください)。
でも、帯同して9カ月後くらいに、メンタル的に激しく落ち込んでしまった。なぜ今自分がここにいるのか、分からなくなった。
今まで仕事を通じて得た信頼とか、関係とか、少しの自信とか、そういうものが、全部、がらがらと崩れた気がした。全部、失った気がした。
何もやる気が起きなくて、誰にも会いたくなくて、夫にもかなり当たった。ひとまず日本に帰ろうかとも思ったけれど、自分でついてくると決めた手前、引けない自分もいた。
心のどこかで、まずい、と思った(そう思考ができただけ、よかった)。
で、泣き疲れた夜に、メンタル相談を受けつけているサイトへ、メールを送った。こっちへ来る前に、海外駐在ってメンタルをやられてしまう人もいるから念のために、と、教えてもらったところだ。まさか自分が使う日が来るとは、思ってなかった。
(お世話になったのは、海外こころのヘルプデスク24時さん)
メールでは、夫の赴任のため、海外で生活していること、自分に価値がないと思って、不安で、イライラする、という趣旨のことを書いた。たぶん。読み返すと、支離滅裂すぎて読解不能。
で、少し眠って、起きた頃、受信BOXに来ていた返信。少しだけ、引用させていただきたい。
まず最初にお伝えしたいのは、その喪失感というのは、これまで頑張って来たからこそ感じる気持ちなんですよ。とても頑張っていたから、失ったものも大きく、虚しさも人一倍なのです。(中略)今はまず、これまで頑張ってきた自分を評価しましょう。
泣いた。久しぶりに、声をあげて、泣いた。
見ず知らずの人に、しかも1回支離滅裂なメールを送っただけなのに、抱えていた喪失感を、優しくなでてもらったような、あったかい気持ちになった。
頑張っているね、って評価をもらうために頑張る訳ではない。けれど、メンタルが弱っている時に、そう言ってもらえて、救われた。思い返せば、今までの自分を自分自身できちんと認められたことってないよなぁ、と。
このメールを見て、落ち着いてからだ。少しずつ、また、前を向こうと思えたのは。
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あともう一つ、心を揺さぶられたことがある。それは、このメールを書いてくれた方の、プロフェッショナルさだ。
わたしの意味不明なメールにも寄り添って、心地のいい文面で、丁寧に返信をしてくださった。その仕事ぶりが、うれしかった。
おそらく返信をしてくれた方は、キャリアコンサルタントの方か、その界隈に長けた方だったように思う。なぜなら、わたしが読んでいるキャリコン関係の本に出てくる、「計画的偶発性理論」とかの話を、もんのすごーくかみ砕いてメールに書いてくださっていたから。
あとちなみに、このサービス、現在無料だ。ボランティアの非営利団体で運営されていて、NPO法人化を目指しているらしい。もう、なんだか恐れ入った。
プロフェッショナルな仕事って、人や、その先の社会を救うのだ。これ、きっと、仕事の本質だ。
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まとめ。今回の教訓。
何かを取捨選択したとき、うまくいかないとき、失ったものばかりに気を取られてしまうことがある。悲しくて、悔しくて、やりきれないこともある。
そんなときは、まず、その失ったものに、自分がかけた情熱や、思いを、認めてあげること。喪失感が大きいのは、その分、頑張ったから。大切だったから。
そこから、すこーしずつ、今できることを進めていけば、いいよね。ね。