「ともだち」って何だろうのはなし
わたしは、友だちが少ない。と思う。
社交的に見られるし、割と誰とでも話せるし、「第一印象の神」と言われたこともある(そう言ったわたしの「友だち」は、「第一印象だけな。だけww」と笑っていた)。でも、友だちは少ないと思う。
小さいころ、近所に住んでいた「ひろしくん」がたぶん1番の友だちだった。友だちだったし、幼な心に、好きだった。気がついたら、いつも一緒にいたし、引っ越ししてきた新しい友だちが遊ぼう、と誘ってきても、ひろしくんが、「〇〇ちゃん(わたし)は僕のだからだめ」、と断ったりしていたことがある。残酷な独占欲である。その他にも、気付いたら「えりこちゃん」と仲良くなっていた。えりこちゃんの記憶は朧気で、でも優しくて賢くて居心地の良い感覚だけが残っている。ちなみに「ひろしくん」も「えりこちゃん」も、気付いたらいなくなってしまってた。たぶん引っ越し。
小学校からは、バスケットボールのクラブに入った。超スパルタチームだったけど、どんどんのめり込んで、練習以外の時も、そのチームのメンバーと一緒にいることが多くなった。登下校、休み時間、トイレに行くとき、誰かと必ず一緒にいた。わたしが積極的に動かなくても、わたしのそばにはチームメンバーの誰かがいてくれたし、それが当たり前だった。
中学校も、高校もそうだった。中学の最初は訳あって少し腐っていた時期もあったけど(そこからひっぱり上げてくれた「友だち」には感謝してもしきれない)、バスケ部に入ってからは、そのメンバーと一緒に行動した。というか、部活以外の時間が極端に少なかった。平日は毎日朝練、部活、夜練習もあったし、土日はほぼ1日練習か試合だった。
辛い練習とか、怖いコーチとか、レギュラー争いとか、そういうものを経て、団結したり、素をみたり(みんなでコーチに怒られている時に、じりじり後退して隠れようとするやついるよね)、そういう丸裸になった状態で、人間同士が「仲間」になっていくと思っていた(ここでわたしの中で、「仲間」=「友だち」という構図が出来上がる)。
大学は、中高よりも部活の時間が減って、スパルタのゼミに入っていたため、ゼミのメンバーと仲良くなった。同じ学部のメンバーはスマートで可愛い女子が多く、気付いたら一緒にいてくれて、心地よい関係を作ってくれていた。
つらいよーとか言いながら、夜な夜な実験したり、就職戦争を一緒に乗り越えたり、おバカなやっちまった恋愛の話とかを包み隠さず話したりして、「仲間=友だち」になった気がしていた。
そして、気付いたら、わたしは「友だちをつくる方法」を知らずに、社会人になっていた。どやって友だちってつくったらいいんやろう。悩んだ。だって、社会人になって、(表現がおかしいが)丸裸になることってなくないか?
もちろん、学生時代の「仲間」たちは、今の私のかけがえない「友だち」だと思っているけど、地元からも大学からも離れた場所で就職した私は、猛烈に寂しくなる時がある。海外に来た今は、なおさら。
でも、よく考えてみれば、そんなわたしの「友だち」たちには、バスケットボールや厳しいゼミなんかなくても、丸裸になんかならなくても、他に「ともだち」がいた。
高校のバスケ部の「友だち」であるA子が、高校のクラスの同窓会に行ったという話を聞いた。楽しかったそうだ。でも、「Oくん、今はバーテンダーなんやって。すごいよね」という話を聞いても、わたしはそもそも、Oくんが思い出せない。かたじけない、Oくん。
なにより、わたしはA子を尊敬する。A子はわたしや他の部活のメンバーと一緒に、(再三表現がおかしいが)丸裸になりながら、部活に邁進していたはずなのに、部活メンバー以外のOくんとも交流を深めていたというのである。器用だ。他のわたしの「友だち」たちしかり。
こんなに不器用なのは、わたしだけだったようだ。ちなみに、わたしの「友だち」の中でもダントツに「友だち」が多いI子に、極意を聞いたことがある。
I子いわく、そんなに難しく考える必要はない、けど努力はしないといけない。具体的には、面白いとか、一緒にいて楽しいと思う人には、自分から連絡を送ること(待ってても連絡はこない)。それを定期的に続けること。嫌になったらやめてもよし。だそうだ(なんか恋愛の指南書に書いてありそう)。
今まで意図的にともだちを作ろうと思ったことのないわたしは、とっても驚いた。そんな頑張らんとあかんねや・・・。
それと同時に、わたしの「友だち」の中に、そうやってわたしと意図的に友だちになってくれた人がいたとしたら、なんと嬉しいことだ、とも思った(ちょっと、むずがゆいけど)。ごめん、今気づいたんだよ。
ひろしくん、えりこちゃん、A子、I子、わたしの「友だち」みんな、本当にありがとう。もちろん、今までのわたしと一緒で、気付いたら「友だち」になってた人たちもありがとう。
「友だち」の定義ってそれぞれだけど、たぶん、自分が好きな人とか大事な人を「友だち」って呼んでいいんだよね。
もし、新しい「友だち」がほしいなと思ったときには、わたしはI子の極意を意識して、「友だち」つくりに努めたいと思う。今は少し、自分の人生を見つめなおすことに時間を使いたいとも思うけど。
そんなはなし。